TITLE : 新 スカートの風 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載することを禁止します。また、本作品の内容を無断で改変、改ざん等を行うことも禁止します。 本作品購入時にご承諾いただいた規約により、有償・無償にかかわらず本作品を第三者に譲渡することはできません。 新 スカートの風  日韓〓=合わせ鏡の世界 目 次 序——合わせ鏡の関係としての日韓 ㈵ 大いなる小異をめぐって 日韓摩擦の根源には何があるのか 相互に支え合う仕組みに根を下ろす日韓摩擦 問題の根にある「いき違い」 「カバンをあけなさい」という韓国税関 驚きと「気持ち悪さ」の感覚 日本人の中位主義と韓国人の黒白主義 「助けてもらいたい」ではなく「助けるべき」という発想 なぜ個人的な関係ではうまくゆくのか ともにアジア的自己をみつめるとき なにげない日常から 母国語独自の表現の面白さと落とし穴 顔つきの価値観 権威と名刺の関係 贅《ぜい》沢《たく》生活が嫌いな日本人の不思議 韓国薬剤師の権威と弁舌 日本の3Kと韓国の3D ロス暴動と日韓摩擦の固有性 「身内問題」となっている従軍慰安婦問題 韓国側のこれまでみられなかった反応 ロス暴動後の韓国人の反省 ロスのコリアタウン ㈼ 文化の合わせ鏡 韓国人は「間」をとることが苦手 「あいだをとる」ことの難しさ 野球には「まをとる」技術が大切 韓国人が中間が嫌いな理由 韓国の味と日本の味 韓国人はキムチなしでは生きられない? 洗練された味よりも家庭の温かみを求める韓国 量も豊富なら味も豊富なものがよい オンドルとコタツ コタツ、日本茶、庭の三点セット 夜間暖房としてのオンドル効果 部屋飾りとしての布団といけ花 弱さの日本語、強さの韓国語 覚えやすく上達しにくい日本語と韓国語の間がら 「コーヒーを飲まれた」と言う日本語の印象 日本語特有の「〜させられた」「〜してもらう」 韓国的なサービスとは何か 感覚に直接うったえる韓国の伝統的なサービス 派手やかさと賑《にぎ》やかさに終始した宴会 文字どおりの皇帝待遇 相手しだいで差をつけるサービス ハレの場の象徴としてのネクタイ ソウルビジネス街の色鮮やかなネクタイ 日本では着られない韓国で似合う服 仕事の場はハレの場か? ロスの日本人教会・韓国人教会 平日はオフィス、日曜日は教会 小さな日本人教会でのお説教 「許しても忘れてはいけない」という韓国人牧師 プライド〓=高慢・誇り・自尊心をめぐって 逆境にあってこそ身仕舞をただす 他者に助けられる資格 異文化間のプライド表現 ㈽ 韓国の女、韓国の社会 なぜ韓国女性は美人なのか 美人への過激な執念 韓国美人は美人であることをより強調する 「派手さ」という美 セクシーな美についての日韓の違い 目を強調する美の感性 美人に会いたければソウルへ 美人への執念から貴婦人への執念へ 男と女雑考 日本に来て変わった男性観 日本の男が韓国の女を誘うとき 韓国、その中央集権化の力学 韓国人は「体育会、応援部」的? 急速に消費社会の顔を見せはじめた韓国 過剰消費の背景にある虚栄心と自己顕示欲 同一性内部で進行する韓国政界の多様化 ヘンダーソンの「韓国社会〓=上昇渦巻パターン説」 韓国社会の極度な中央集権化の構造 日韓関係が鍵《かぎ》を握っている ㈿ 儒教的世界と神道的世界 韓国の孝と日本の忠 儒教の倫理観を逆転させた日本人 自然な生まれつきに価値を求める社会 孝優先の韓国と忠優先の日本 忠優先で成功した日本 「恨」と「もののあわれ」 情緒表現と美意識の二つの典型 自然観と人生観 儒教と神道を支える心情 日本人の「おかげ」信仰 「反省すべき日本人」というアジア人のワンパターン 「努力」の強調と「おかげ」の強調 負けたくない相手へのご都合主義 外国人のための日本人とのつき合い方 何を食べましょうか 考えさせて下さい 家に遊びに来て下さい 「ひけらかし」が嫌いな日本人 教える姿勢の弱い日本人 日本人は無宗教? 日本人は差別的な国民か? 慣れ慣れしさと親しさ 東京の無意識と外国人 文庫版あとがき  序——合わせ鏡の関係としての日韓  人と人との関係には、お互いに相手の中に自分を見る鏡のような関係があるけれども、ときによって、さらには合わせ鏡のような関係を感じさせられるときがある。自分の前にかざした鏡に後ろからもうひとつの鏡をかざして写し合わせると、自分の後ろ姿が見える、それが合わせ鏡。そのように、自分の後ろ姿(無意識の自分のようなもの)を見るには、韓国にとって日本は、またおそらくは日本にとって韓国は、お互いにまたとない写し合わせを可能にする関係にあるように思える。  私自身は、自分では容易に気づくことのなかった韓国人の後ろ姿を、日本人とのつき合いのなかからたくさん知らされたように思っている。しかし、決して少なくはない欧米人や他のアジア人とのつき合いのなかでは、なぜかそれほど深い気づきに至ることが少ない。そうした体験が私にだけ固有なものではなく、多くの韓国人のものでもあるのかどうか、そしてまた、多くの日本人にとって、韓国人とのつき合いのなかにそのような関係が感じられているのかどうか……。そのへんでどこまで一般性のあるものかはわからないが、日韓を合わせ鏡の関係として考えてみることは、私にはとても大切なことのように思われる。  この一、二年、そんな考えを漠然と頭に、機会を与えられるたびに文章を書いてきたような気がする。本書には、そうした間に書いたもののすべてが収録されている。  また、「なぜあなたは日韓の文化的な異質性ばかりを取り出すのか」という疑問をしばしば投げかけられることがあって、それにうまく答えたいと思ってきた。大きな目で見るならば、日韓の文化は異質性よりも同質性の方が強く、その点からのアプローチが重要であることは言うまでもない。また、文化的な異質性の強調は、ややもすると、二つの文化をまったく相いれない対抗関係にあるかのように固定的に提示してしまい、時間的に変化する相を軽視することにもなりがちである。私への疑問も、そのへんと関係があるかもしれないと思う。  他者とのよりよい関係をつくりあげていこうとするときには、多くの場合、私にしてもそうであるが、相手との同質性をポイントに自分を開いていこうとする。そして、そのプロセスのなかで、お互いの差と別をしっかりとつかみ取っていこうとする。私の日本人とのかかわりの意識が、数年来この後者の方に大きな興味を向けてきたことはまちがいない。それがいきおい、「文化的な異質性ばかりを取り出す」と言われることにつながっているのだと思う。なぜそうなるのか、ということである。  一般的に、日本人と韓国人との間では、感覚的な同質感が強く支配する。そのため、その同質感をはずれた行為を相手が示したとき、考えるよりも先にまず感覚的な反発や嫌悪の感じがやってくることが多い。そこでは、それらのズレの背景を冷静にながめてみようとする意識が、とても弱くなってしまっている。この強い感覚的な同質感を、私は本書のなかで「無意識の身内意識」と言っているが、私が提唱したいのは、これをちょっとカッコに入れて考えてみようということである。  たとえば、私が日本の大学生であったころ、こんなことがあった。  ゼミのクラスのメンバーで記念写真を撮ったときのこと。みんながカメラを前に並んでいると、ひとりの韓国人男子留学生が前列の椅《い》子《す》に座っている女子学生の前にやって来るや、「いやあ、こんなブスにはねえ、こうしなくちゃ」と言いながら、撮影のために用意した国旗を彼女の鼻先に広げて、彼女の顔を隠す真《ま》似《ね》をしたのである。その女子学生は一瞬あっけにとられたようだったが、すぐ彼の手を振り払うと憤然として席を立って小走りに歩き出した。彼はあわてて「いや、冗談、冗談」と言いながら彼女を追いかけ、何度もわびて彼女を引き戻し、なんとか席に着かせた。日本人学生は「それは冗談にならないよ、ひどいよ」と口々に彼を非難する。私も厳しい口調で彼に文句を言ったのだが、その気持ちは日本人のそれとは違って、少々複雑なものであった。  実際、彼の言葉はほんの軽い冗談なのであり、韓国では親しい間柄では当然のようにそうした言葉が飛びかう。しかし日本では、いかに親しい間柄とはいえ、女性に面と向かって「ブスだ」と言えば、冗談にはなりようがない。  この場合、両者が了解しなくてはならないことは、言うまでもなく、彼にはまったく他意がなかったということ、そして彼は、日本人と接する以上はもっと日本的な礼儀をわきまえた接し方をしなくてはならない、ということである。そこで互いに納得がいけば、文化的な差異はともかくも相対化すればよい、ということになる。こうした認識に至るためには、同質感をカッコに入れて考えてみる、という効用は大きいと思っている。  しかし私は、問題はそれだけでは終わらないことが多いように思う。事実、この韓国人留学生は、認識はしたものの、後に私に「なんて日本人は水くさいやつらなんだ」と吐き出すように言っていたし、一方の日本人たちは、「彼はなんであんなふうに、人の神経を逆なでするような言い方をするんでしょうね」と私に言っていた。つまり、認識することによって解消する場合もあれば、解消しがたくいやな気分が残ったままとなることもある。これは当面しかたのないことには違いないが、こうしたいき違いがたくさん重なってくると、やはり互いに好感をもてる関係が築きにくくなってしまうことも確かである。  このケースの限りでは、どちらが正しいかという問題ではない。しかし、現在のように国際化が進展するなかでの異文化間コミュニケーションとしては、どちらがより未来的かというように問題をたてることはできるように思う。そのように問題をたてるとすれば、私は韓国人の方が日本人よりも、他者との関係において改めていくべきことはずい分多いように思う。私の書くものが韓国人により厳しい言い方となるのは、そのへんのことにかかわっている。  たとえば私は、最近このケースとまったく同じ体験をアメリカでして、その思いをいっそう強くした。白人の若者たちとアジア系の留学生や移民数名とともに、ロスアンゼルスのあるアメリカ人のお宅に招かれて食事をしたときのこと。「結婚は?」「できないのよ、相手にしてくれる人がいなくてね……」「できないんじゃなくて、しないんでしょう? なぜなの?」といった女どうしの雑談に一人の韓国人男子留学生が割り込んで、「Because her face is ugly」(だって彼女はブスなんだから)とやったのである。当の彼女がムッとしたのはもちろんだったが、その家の女主人の怒ったこと。彼は「軽い冗談ですよ」と言ったのだが、女主人は「そんなことがどこの世界で通用すると思いますか、人の尊厳を傷つける、絶対に言ってはならないことをあなたは言ったのだ」と、猛烈に彼を非難し、彼女への心からの謝罪を強く要求したのだった。また出席者の全員が同様に、「冗談で許されることではない」と彼を強く非難したのだった。  他意のない彼がちょっとかわいそうな気もしたが、韓国人の多くが、異文化に対する配慮にあまりにも欠けていると思わざるを得ない。それは何よりも、自文化中心意識の強さのためである。それは自覚的と言うよりは、長い間国際的な閉鎖性を形づくってきた社会のなかでの、幼いころからの教育で身に染み込んでいるものと言ってよい。日本人との間のトラブルの多くも、この自文化中心主義に発している。私には、ロスアンゼルスにおいて多くの黒人たちがことさらに韓国人の商店を襲撃したところには、韓国人の自文化中心主義が強く作用していたことはまちがいないと思われる。  私が同質性よりも異質性により注目するような傾向を示し、また韓国人の方にいっそうの反省を求めることが多いのは、だいたい以上のようなことからである。そのあたりへのご理解をいただき、同時に、「合わせ鏡のような関係とそこから見えてくる世界」という、形にならない漠然とした思いの所在を、本書から感じとっていただけるならば、この上ない幸せである。  ㈵ 大いなる小異をめぐって 日韓摩擦の根源には何があるのか 相互に支え合う仕組みに根を下ろす日韓摩擦  韓国にいた時分の私にとっては、日本人こそがレイシズム(自民族優位主義による人種的偏見と差別)の持主であり、古くからの侵略的・差別的な性格を何ら反省することのない人たちにほかならなかった。日本へ来て間もないころでも、それほど考えが変わることはなかった。しかし、日本の人や社会との接触が深くなってゆくにつれて、しだいに疑問を感じるようになった。そして数年も経《た》つと、頭に焼きついていた「野蛮で侵略的で差別的な日本人」といったイメージが、私の日本体験の中ではことごとくリアリティを失っていった。私の知った日本はすでに、およそ韓国的な反日観が指し示すものを無化し得るだけの十分な成熟をとげた社会であった。  私にとってはなんと言っても、徹底した反日教育を受けたことが大きかった。日本に関する情報をまったく遮断された状態の中で、一方的な日本観を与えられ続けてきた。そこでは、韓国人に顕著な、弱者の反感や被害者意識をバネに力を発揮する自然な性向が、そのまま反日へと無理なく組織されていた。  日本を知ってからの私は、日韓摩擦の主要な原因は韓国側にあると思うようになったが、私自身にとっての摩擦はなんら政治問題ではなく、異質な生活文化と出会うときの軋《きし》みの問題であった。そうした面での摩擦解消が、私自身が快適な日本生活を送るのに最も切実な課題だったのである。そうした生活体験が深まってゆくと、しだいに、日韓摩擦の問題の根が、攻撃する韓国側だけにではなく、それを受ける日本の側にもあるように気づくようになり、さらには両者が相互に支え合う仕組みがあると思うようにもなっていった。  そうして私の得たものが、日韓摩擦の根は、韓国人と日本人が互いに、他の外国人との間にはない特殊な「近親・身内」の関係意識をもってしまうところにある、という考え方であった。これがどこまで一般性をもてるものかどうかはわからない。でも、私が日韓摩擦について何かを言うとなれば、どうしてもそのあたりのところを語るしかない。 問題の根にある「いき違い」  この「近親・身内」のイメージが、日韓をめぐるあらゆる問題に離れがたくつきまとってくる。そのため、どうしてもお互いに気づきにくい、さまざまないき違いが発生することになる。日韓摩擦という摩擦のあり方は、そうしたひとつひとつの小さないき違いの歴史的な累積層に、深く根ざしたものと思われる。  長らく、外国人とどうつき合うかと言えば、欧米人とどうつき合うかが、日韓両国の人々に共通な発想であった。そこでは、欧米人がたとえ少々おかしな日本語や韓国語を話しても、十分に配慮しながら聞くことができるし、習慣の違いからくる行動の違い、あるいは動作や身振りの違いも、知識さえあれば戸惑うこともない。かりに、何か嬉《うれ》しいことがあって、いきなり欧米人に抱きつかれて頬《ほお》にキスをされたにしても、それは彼らの習慣だからと、理解して許すこともできる。  このように、私たちが彼らに対して余裕をもって接することができるのは、彼らを明らかな異民族と意識するからに違いない。したがって、東洋人どうしとなると、外国人意識(異民族意識)はもう少し薄いものとなる。そして、日本人、韓国人、中国人、モンゴル人などの間ではさらに薄く、日本人と韓国人の間でそれは最も希薄になる。当然のことながら、身体的な面でも文化的な面でも、日本人と韓国人は互いに、他のどんな民族との間よりも「大同小異」の間柄にある。  炊いたご飯を主食にするのは同じなのに食べ方がちょっと違う、椅《い》子《す》を使わない座位生活は同じなのに座り方がちょっと違う、どちらも儒教の影響を大きく受けているのに韓国では孝を一位とし日本では忠を一位とした、どちらも仏教を導入したのに韓国のお寺は山中に孤立しており日本のお寺は町中にまで侵出している、どちらも家族主義的なのに韓国では父系の血統を守ることが目的で日本では血統よりもイエの存続が目的となる……。 「大同」の間柄では、その中の「小異」はなんとも奇妙で異端的に見え、本流ではない傍流のものとして、容易には認めがたいものともなってしまう。 「カバンをあけなさい」という韓国税関  言語の面で言うと、日本語と韓国語は、文法も語順もほとんど同じであり、中国語の影響で近似する発音の同意語も多い。両国語を教えている経験からいっても、互いに最も早く上達する外国語だと思う。ところが、そこに大きな落とし穴がある。つまり、「大同」をいいことに中途半端な上達となりがちで、「小異」を身につけないままに独り歩きしてしまうことが、実に多いのである。  たとえば、韓国の税関でいきなり日本語で「カバンをあけなさい」と言われて、ムッとしたという日本人ビジネスマンの話をたびたび聞く。韓国の役人は態度が大きい、というのである。この場合、韓国の税関吏と日本人ビジネスマンに、もう少し互いの国の言葉を理解しようとする努力があれば、こんなことは起こらないとも思う。 「あけなさい」と言えば命令形であり、日本語では見ず知らずの人にいきなりこうした言い方をするのは失礼になる。当然、「あけて下さい」が丁寧な言い方なのだが、韓国語を直訳すると、「〜して下さい」は「自分のために〜して欲しい」であり、「〜しなさい」は「あなたが〜することを求める」といったニュアンスとなる。たとえば、自分で魚を買って来て、「これで、夕食にしなさい」と言えば、韓国ではごく自然な使い方だ。  この場合、韓国税関吏の意識は、「自分のためにあけて欲しい」ではなく、「あなたの意思であけて欲しい」というところにある。だから、韓国語の直訳で日本語を使う安易なレベルに慣れてしまっていたとすれば、ついつい「あけなさい」という言い方をしてしまうのは、体験的にもよくわかることである。  こうした言葉の安易な使い方が原因で起こるいき違いは、日常的にもよくあることだ。とくに日本語での尊敬語、謙譲語、丁寧語の使い方は、韓国語とはかなりの違いがあり、お互いに最も苦労をするところだ。そのあたりに、「韓国人は礼儀を知らない」という意識が日本人の中で過大なものとなってしまう理由の一端もある。  こうしたいき違いは、日本人が韓国語を使う場合にも同様に起きることは言うまでもない。たとえば、韓国人は身内にも尊敬語を使うため、韓国語の会話で、「お宅の社長さんは最近いかがですか?」と聞かれて、「うちの社長は元気です」と答えたとしたら、なんと礼儀の知らない人かと思われてしまう。「うちの社長さまにおかれましてはお元気にしていらっしゃいます」と身内にも目上の者には尊敬語を用いるのが韓国語の正しい使い方なのである。  ここでは詳しく触れられないが、およそ、日本人と韓国人が、お互いの言葉に容易に上達してしまうため、それ以上深く理解することをせずに生じる言語表現上のいき違いとそれに伴うトラブルは実に多く、また想像する以上に深刻なものがある。 驚きと「気持ち悪さ」の感覚  習慣や感覚の違いからくるいき違いも、これまたたくさんある。それらのひとつひとつについて論じる余裕はないが、最近、私のもとへ日本の女子高校生から送られてきた次のような内容の手紙を参考にして紹介してみよう。   「五泊六日で韓国へ修学旅行に行きました。その前に、先生に言われてある程度のハングルを覚え、また学校では毎朝韓国語の歌をみんなで歌いました。各自が韓国について五〜六枚のレポートを書き、それをまとめて本にしたり、韓国の歴史についての講義も数回にわたって受けました。全員にガイドブックを二冊と歴史に関するプリントが配られもしました。こうして私たちは、かなり徹底して韓国の勉強をし、修学旅行に臨んだのです。    でも、それらのことは何の役にもたちませんでした。それよりも、韓国って怖い国だな、という印象が強かった。お店に入ってもみんな愛想がよくない、めったに笑いながら話をしてくれる人がいない。なぜなのか理解ができません。    ソウルで日本語の上手な若い女の子と知り合い、後に彼女が日本に来て私が新宿を案内することになったのですが、そのとき驚いたことは、彼女が真っ赤で派手なデザインの服を着て来たこと、そして歩きながら常に手を握ってくることでした。正直言ってとても気持ちが悪かった。最近になって呉さんの『スカートの風』正続二冊を読んで、これらのことがよく理解できました。旅行の前に読んでおけばよかったと思います」    私が本に書いたことで彼女の体験に相当するものとしては、国民の反日感情、すぐに買わないで長々と見て回る客を嫌がる韓国商店の店員、韓国人の鮮やかな原色好み、女性どうしでは親しい間での皮膚接触を自然とする、などがあげられる。  彼女が感じた驚きや「気持ち悪さ」は、単なる異質な文化との接触感覚ではない。欧米人や未開部族などとの出会いで、驚きや「気持ち悪さ」を感じたとしても、それは「あり得ること」と納得できたに違いない。ここでの彼女の「気持ち悪さ」は、「同質性の意識の内側」で体験した「異質性」の感覚につながっている。無意識のうちにもっている「近親・身内」の感覚が、自分の相手が「習慣も感覚も異なる異国人」だという自覚意識を薄れさせていたのである。私自身も日本に来てからしばらくの間は、彼女と立場は逆だがまったく同じような体験をしているので、その驚きや「気持ち悪さ」の質がよく理解できる。 日本人の中位主義と韓国人の黒白主義  日韓の間でのいき違いは、言語表現、習慣、感じ方の違いからくるものが大きいが、もうひとつ、発想や価値観の違いからくるものも無視することができない。ここでは中位とか中間という問題をとりあげてみたい。  日本人は物事への観点を、一定の幅をもった中位、中間におこうとする傾向が強い。日本人が極端を嫌って平凡さを好み、熱烈な好き嫌いよりは長続きのする淡い感情を好むのも、また、外国人からしばしば指摘される「曖《あい》昧《まい》性」も、そうした中位の位置を拠《よ》り所《どころ》とすることを示すものだと思う。一方韓国人は、日本人とは逆に中位、中間を排する傾向がことのほか強い。右か左か、上か下かの極端を指向し、好き嫌いの感情が激しく、立場や姿勢の「曖昧性」を嫌う。韓国人は中位をとるにしても、それは日本人のように幅のあるものではなく、一点へと絞りこまれた第三の立場としての中位である。  日本人にとって中位とか中間の位置は、考えや感じ方の緩やかさ、柔らかさ、優しさ、淡さなどを物語っており、最も安らぐことのできる理想的な「常態」ともされる。しかし韓国人にとって中位とか中間の位置は、黒白のはっきりしない灰色の位置である。韓国ではだいたい、悪者か善者か、敵か味方か、あるいは左翼か右翼かをはっきりさせたがり、その中間の姿勢をとる者は灰色で疑うべき者だ——となる。  こうした国民性は、韓半島の歴史が、常にAかBかの結論を出さないと民族としての生存を脅かされるような状況にあったために形成されたと推測する学者もいる。私は、そこにはさらに、均質でわずかな差異しかもたない小集団が、大同につくより小異で争いつつ中央権力を目指すという、韓国に伝統的な社会構造上の問題もあると思う。  このような中位、中間をめぐる日本人と韓国人の発想や価値観の違いに関心が向けられることなく、同じ儒教の影響を受けた国だから、韓国人も中庸を好むに違いないなどという理解で接すると、大きないき違いを生んでしまうことになる。日本人は対立を緩和するために話し合いを求めるのが普通だが、韓国人では得てして対立をよりはっきりさせるために話し合いを求めることが多いものである。 「助けてもらいたい」ではなく「助けるべき」という発想  過去は過去、現在は現在とするのが多くの日本人の人生観、歴史観と言ってよいが、韓国人はそうではない。そこにもまたいき違いが生まれる。  一九九二年四月は豊臣秀吉による壬《イム》辰《ジン》倭《ウエ》乱《ラン》(朝鮮侵略)四百周年にあたる。現代の日本人にはピンとこないかもしれないが、韓国人にとってはいまだに神経を過敏にするに十分な歴史的事件なのである。  たとえば、今年(一九九二年)の四月二日『東亜日報』に、韓国のある大学教授による「日本の侵略根性の生んだ経済戦争」と題する論述が掲載されたが、そこでは次のように、日本人の侵略的な精神は壬辰倭乱から現代にまで続いていると述べられている。   「壬辰倭乱は日韓関係史上、国家的規模での最初の戦争であった。    その背景では豊臣の、中国のシルクや韓国の陶磁器に対する経済的な強欲さが大きな比重を占めていた。    日本は島国であるために重要な変動期には必ず大陸の門を叩《たた》くことになるが、その方法が常に侵略的であることに問題がある。その根強い侵略性は二十世紀に帝国主義としてもう一度活気をていした。戦争中、十万人にものぼる陶工を拉《ら》致《ち》し、そのうち多数をポルトガル商人へ奴隷として売り渡していたことが、最近西洋の宣教師の文章を通じて明らかになった。挺《てい》身《しん》隊《たい》徴発におよぶ蛮行は四百年前にも、しでかしていたのである。    これによって、戦後の日本では陶磁器や綿などが国産化されるようになった。    四百年前とは逆に、現代の日本は生産、技術面で東アジアの先頭に立っている。彼らはその優位な勢いを背景に、今後はかつてよりもさらに『侵略的』な商売をするかもしれない。東アジアの平和は彼らの『伝統的な侵略性』の放棄なしでは保障されがたい。我々は彼らのそうした実体をより明確に把握することに力を注がなくてはならないし、そのような彼らを彼ら自身に知らせることをしなければならないと思う。    我々は彼らを知らなかったし、また知ろうともしなかったために、過去、彼らにやられるばかりだった。より深層へと向かう日本研究をしなくてはならない時である」    このように、「侵略者=日本」対「被侵略者=韓国」という位置づけを現在にまで引っ張ることによって、技術移転や投資など日韓の経済関係について、「韓国はいまはまだ力が弱いので力のある日本に助けて欲しい」と言うべきところを、「日本は過去に韓国に対して被害を与えてばかりきたのだから、今は困っている韓国を助けるべきだ」といった高姿勢で出ていくことにもなる。そして日韓摩擦には経済面でも拍車がかけられていく。  こうした韓国人の高踏的な姿勢の背景には、「韓国は古代以来、日本に対して文化を伝え教えてやった兄貴分だから、今度は弟分の日本が韓国を助けるのが当然だ」という意識が根強くあり、また、持てる者が持たざる者の面倒をみることを当然とする、古い貴族社会に根をもつ「ふるまい」の倫理、あるいは旧農村に根をもつ相互扶助の倫理がある。 なぜ個人的な関係ではうまくゆくのか  日韓の民族間、国家間の摩擦が、容易に緩和・解消の方向へと向かわないところには、以上に述べたような、さまざまないき違いの膨大な累積を築き上げながら、そのことに、お互いがほとんど無自覚のまま過ごしてきてしまったことを見逃すわけにはいかない。  私は機会あるごとに、「日本人と韓国人は、欧米人との間のように、お互いに相手が外国人だとの自覚をもち、その点を配慮し尊重しあってつき合うことが重要ではないか」と主張してきた。と同時に、「個人的につき合っている日本人と韓国人の中には、国や民族の間での摩擦という障壁を越えて、親密な関係を結んでいる人たちが、なぜこうもたくさんいるのかに注目すべきではないだろうか」とも言いつづけてきた。  外国人と個人的につき合おうとすれば、国家や民族の枠組をはみ出した領域の共有が必要となる。さらに、相手の民族的な資質や習慣、文化などを理解しようとする意識もなくてはならないものとなる。そこでは、「日本人の戦争責任」の問題で激しい議論になったとしても、国家や民族の枠組とは無関係の領域で出会うことの喜びを感じられていさえすれば、友人関係が壊れることはない。そうした関係が、いかに日本人と韓国人の間であっても可能であるのは当然のことである。  私の知り合いの典型的な韓国人の中にも、そんなつき合いのできる日本人を友人にもっている人は多い。また、同様なつき合いのできる韓国人を友人にもつ日本人もたくさん知っている。では、彼らの間で日韓摩擦の問題はどうなっているのだろうか? 激しいやりとりがあるにせよ、お互いの主張をそれなりに認め合っているのが一般的だ。それならば、なぜ、そうしたことが可能となるのだろうか?  それは、個人的な信頼でつながっている相手に対しては、相互に対立的な民族や国家の一員としての自分ではなく、自由な個人として、具体的な個性をもって接するからである。そこでは、非個性的なステロタイプ化された言辞は影をひそめる。また韓国人は、いったん友人となればとことん信頼を寄せる者が多い。あれだけ激しく論争をしたのにと思うほど、次の日はケロッとした顔をして友人への親しみをあらわに表現するのが普通である。 ともにアジア的自己をみつめるとき  私自身、日本人との具体的な個人間のつき合いの深まりの中で、いき違いの存在に気づいていった。そして、日韓摩擦の緩和・解消への方向は、つまるところ、互いの民族的な資質を互いの「気づき」への努力で相対化しようとする歩みに重なっている、ということを学んだように思う。この点では韓国人の方にいっそうの努力が必要だ。韓国は、古代的な王朝国家とも言ってよい李朝支配が五百年間続き、次には日本の植民地となり、戦後は長きにわたる閉鎖的な軍事政権国家を体験し、つい最近民主化宣言がなされたばかりの国である。自らの民族性を相対化する手立てにはあまりにも乏しかったのである。  お互いの民族的な資質が、ともにアジア的な社会の基盤に立ったものであることは疑いない。そこで両者に最も共通しているのは、「内部に対する強い親和性の一方での外部に対する強い排他性」という、アジア的な伝統社会に特有の性格ではないだろうか。韓国の社会も日本の社会も、その現れ方の顕的、密的、あるいはハード、ソフトの違いこそあれ、そうした性格を無意識のままに長らく引きずってきた点では共通していると思う。  日本は現在、よくも悪くも、急速度でアジア的な社会からの離陸をとげようとしており、韓国も消費社会の高度化にともなって、同様によくも悪くも、離陸への道を探らざるを得なくなっている。アジア的な基盤から何を糧として、何を眠りにつかせ、どのような革新をとげなくてはならないのか、その点への自覚こそ、両国の社会にとって、最も大きな未来的な課題であることは、疑問の余地がないように思う。  いまは日本人も韓国人も、お互いにアジア的な自己をみつめるときなのだ。それが、実際的に「内部に対する強い親和性の一方での外部に対する強い排他性」という、自らの社会が歴史的に背負ってきた性格を、あらためてみつめ直すことへと向かうものならば、それはそのまま日韓摩擦という関係のあり方の反省へとつながるとは言えないだろうか。 なにげない日常から 母国語独自の表現の面白さと落とし穴  まだ日本語をよく知らなかった時分には、日本語の独特な表現に接するたびに、なんて奇妙な言い方なのだろうと思いながら、それが面白くてさらに興味を覚えていったものである。ところが、なんとか一応の日本語を身に付けて慣れ親しんでいるいまでは、しばしば韓国語の独特な表現を面白いと感じるときがあるから不思議なものだ。  昨年(一九九一年)の暮れから正月にかけて、韓国語の小説を翻訳する仕事をすることになって、その感を一層強くしたが、同時に、翻訳というものが、単に言葉の意味を知っているだけではとてもできないものだということを、改めて思い知らされた。その小説の文中から、韓国語特有の表現と思われるものを、いくつか日本語に直訳してご紹介してみよう。 「銀行でお金を探してきて下さい」 「彼はデパートへ、彼女に頼まれていた洋服を探しに行った」  前の文章の「探す」は奇妙だが、後の文章ではとくに疑問は感じられない。が、ここでの「探す」はいずれも「受け取る」といった意味なのだから、日本人には話がややこしくなる。日常使う韓国語では、銀行でお金を「引き出す」のも「探す」なら、注文した洋服を「受け取る」のも「探す」なのである。 「彼は彼女にまったく精神がない」  さて、これはどうだろうか。知り合いの日本人に聞いてみると、「彼女にまるで気がないってことじゃないの」と言う。なるほど、と思った。しかし、事実はまったく正反対の意味なのだから、困ってしまう。「精神がない」のは「他のことに精神がない」ということ、つまりこの場合は、彼女にだけしか精神がいっていない、ということなのである。 「そんなことを言うと心がはじけるよ」  この文章から予想できそうな「はじける」は、「壊れて飛び散ってしまう」あるいは「のけ者になる」くらいかもしれないが、いずれもバツなのだ。ここでは「はじける」を「炸《さく》裂《れつ》する」というほどにとるか、あるいは「はじく」として、「はね返る力で打つ」という意味にとればわかりやすい。答えは「腹が立つ」である。  こんな具合にあげていくときりがないのだが、面白がってばかりはいられないと思った。それは、逆の場合を考えてみるとよくおわかりいただけるのではないだろうか。  たとえば、あなたが韓国人に「その言い方は心憎いね」と言ったとする。この場合には、よほどの日本語理解がなければ、「お前の言い方は憎らしい心である」と了解されかねない。辞書をひいてみると、「奥に何かあるようで強く心をひきつけられる」という意味の言葉だとわかるが、これは難しい。さらに、恋人に「君、その顔なかなか憎いよ」などと言おうものなら、いきなり席を立たれてしまうことだってあるかもしれない。  実際には、外国人と母国語で話すときには、自国の独特の言い回しはできるだけしないように気をつけるものだ。しかし、それを気にし過ぎると話に味がなくなり、情緒豊かな心の伝達に支障をきたすことにもなる。また、親しくなればなるほど、そうした気づかいが意識から薄れてしまうのも人情だ。  悪いことに(?)、韓国語と日本語は文法的によく似ているし共通の漢字も多いため、お互いに他の外国語よりもかなり覚えやすい。これが実は落とし穴であって、けっこう上手なつもりになってしまうのだ。そこで、「奇妙な表現」の直訳的な理解も起こりやすいのである。  国際交流とひとくちに言っても、日常に生きた言葉の勉強がいかに重要なものなのか、小説の翻訳をやってみて、改めて肝に銘じさせられた。 顔つきの価値観  いうまでもないけれども、日本人と韓国人はまるで同じ顔をしている。でも、様々な場面で見せる表情にはかなりの違いがあるから、なんとなく韓国人か日本人かの見当がつくものだ。それは「顔つきの価値観」とでも言ったらよいものが違うからではないかと思う。服装と同じように、こんな時には、またこんな人には、こんな表情がふさわしいと、表情のTPOみたいなところで、ずい分と価値観が違うと思わずにはいられない。  新聞や雑誌で自分のインタビュー記事などを見る時に、最も気になるのが顔写真の表情である。一、二時間のインタビューの間中、カメラマンはひっきりなしに顔を狙《ねら》ってシャッターを押しまくる。結局はそこから一枚を使うことになるが、だいたいが、満面に笑みを湛《たた》えた丸っこい顔の写真が使用される。これがいつも気になるところ。  戦前の日本でもそうだったと聞くが、韓国で「もの書き」の写真と言えば、どこまでも陰影深く、きりっとしたすまし顔と相場が決まっている。当然のようにそう思ってきた。だから、記事の内容に大いに喜んだにしても、ニコッと表情を崩した我が顔写真を見ると、なんて恥知らずなと、どうにも落ち込んでしまう。  知り合いの日本人からは「とてもいい感じで写ってたね」と言われることが多い。お世辞と受けとっても唐突な感じがしてしまう。一方、韓国人にそんな写真を見せると「本を書いている人には見えない」とか、「笑いすぎで品がない」とか言われることがしばしばだ。始めのうちは、私もそう思うのよね、と首をかしげたものだった。  顔写真を要求されることが多くなったので、以前インタビューを受けたときのカメラマンに頼みこんで、ポートレートをたくさん撮ってもらった。それからすぐ、私の本が韓国で翻訳出版されることになり、出版社から顔写真を要求された。さて、笑い顔にすまし顔、いずれを選ぶべきか。個人的には「気取らないにこやかな笑い」の方が、ずっと好きだ。が、大勢の人さまに見せるもの、そこで「顔つきの価値観」に縛られる。迷える私は写真をバッグにしのばせ、会う人ごとに選んで下さいと頼んでまわった。  まず韓国の女性たち。誰《だれ》もが一様に、ほとんど笑っていないもの、笑っているにしても微《かす》かな笑み程度のものを選ぶ。そして日本人。男性も女性も、やはり顔いっぱいに笑っているものを選ぶのだ。くだんのカメラマン氏にしてもそうだった。  韓国人の書いた本を何冊か覗《のぞ》いてみる。どの著者も考え深げな渋面をつくっておさまっている。と、どうもそちらへ心がなびく。新韓国人を自称する私もそのへんはだらしがない。仕方なく、日韓両者に三枚ずつ選んでもらった写真六枚を送った。やがて本が送られてきて写真を見ると、案の定、中でも最もツンとすました表情の写真が使われていた。そのとき、内心で安《あん》堵《ど》したのだから、私も韓国人である。人には自分は日本人的になったとか言っていながらも、肝心なところでは、いつもそんな自分を発見してしまう。  個人的な場面での喜怒哀楽の表情に、日韓で大きな違いがあるわけもないが、社会的な場面ではかなり違ってくる。韓国では、公的な場であるほど、威厳と品位に満ちた表情を重要視する。選挙演説者が笑うとか、ニュースキャスターが笑うとか、もの書きがヘラヘラした表情を見せるとかは、韓国では考えられないこと。韓国の威厳と品位のルーツは、李朝時代のインテリ上流階級、両《ヤン》班《バン》にある。彼らは、外ではニッコリと愛想笑いなどはせず、常に毅《き》然《ぜん》とした態度で教え諭すよう人に接することを美徳とした。実際的な中身は別にして、多くの韓国人が、いまだにそんな文人優位主義の外面にはまり込んでいる。 権威と名刺の関係  昨年(一九九一年)、大分県主催の国際シンポジウムにパネリストの一人として参加した。出席への依頼書をみると、アジア諸国から数名のパネリストが参加し、日本人識者からコメンテーターとコーディネーターが付く、一般聴衆は五百名ほどとのこと。顔ぶれをみて一瞬あせり、出席するものかどうか、いささか躊《ちゆう》躇《ちよ》してしまった。私以外のアジア諸国からのパネリストは、大学教授、外交官、著名ジャーナリストと、いずれも高名な文化人ばかり。またコメンテーターには日本の有名な外交評論家と県知事が、コーディネーターには外務省の方が当たる。そこへ、留学生身分のまるで素人の私となれば、しかも紅一点となれば、聴衆五百人と聞けば、やはり考えてしまう。恐れをなしてしまう。  でも「まてよ」と思った。このシンポジウムへの出席は、文化的な意義はともかく、私個人にとっても二つの意義がありそうだ。一つは、偉い人や大勢の人の前で堂々と話せるだけの度胸を養うレッスンとして。もう一つは、日本で何やら本など出したらしいが、相変わらずの貧乏書生生活、いったい何をやっているのかと心を痛めている国の両親や兄弟姉妹、友人たちに、「こんな集まりに出席するようなこともしているんですよ」と言って、安心させてあげられる、ということ。  韓国は権威や権力とのコネクションが、いまだに、人生の浮沈を大きく左右するほどの強力な現実有効性を発揮している社会だ。権威や権力との接点のあることは人生安泰の第一の条件であり、多くの韓国人が望むところである。だからそれは自慢できることであり、他人に羨《うらや》ましがられることとなる。日本の場合はそのへんが少々複雑で、現実とは別に、権威や権力への接近をことのほか「卑しいこと」として、そういう人を疎んじる傾向が強い。私がこの国際シンポジウムに各界の権威者と共に出席できると、ことさらにはしゃいだとすれば、韓国人ならば「よかったね、羨ましいな」と喜んでくれるだろうし、日本人ならば「まあよかったね」とか言いながら、心の中では「なんて嫌味なんだ」とさげすむに違いないと思う。ともあれ、私のような権威も何もない者に声をかけて下さったことはありがたいことだった。  当日、出席者一同が集まっての打ち合わせ会で、まずは名刺交換となった。知事さんの名刺、これが国の両親を安心させられる第一の価値をもつ物品。が、いただいた名刺を見て、私は「知事さんもやっぱり日本人なんだなあ」と納得しつつ、ちょっぴりがっかりもした。県知事たる者の名刺ならば、最高級の紙質を用い、金《きん》箔《ぱく》で県のマークが型押しされていて、堂々とした書体で墨書された豪華なものとイメージしていたのである。かつて韓国の国会議員からいただいた名刺はまさしくそうだったし、それでこそ国会議員と納得したものだった。知事さんからいただいた名刺は、紙質は薄手の粗末なもので、金ピカマークもなければ墨書でもない。しかも文字はハングルである。知事さんはしばしば韓国へ行かれるそうで、ハングルの名刺を用意されているとのこと。ハングルこそ世界最高の文字と誇る韓国人も、名刺だけは漢字を使おうとする者が多い。かつての上流階級の文人(インテリ)たちが、ハングル文字は庶民の使う卑しい文字で漢字こそ文人のものとしていたこと、その文人優位主義の意識につながっている。  韓国式の派手な名刺はこれみよがしで品がない、日本式の質素な名刺の方が謙虚な人柄を思わせるようで感じがいいと、そんな価値観をもってはいながらも、両親を念頭に韓国的な権威の表現を日本人の名刺に期待していた。そこらへんで私の意識はどうなっているのか、自分でもよくわからない。 贅《ぜい》沢《たく》生活が嫌いな日本人の不思議  毎日美《お》味《い》しいものを食べて、上等の服を着て、広い庭のある大邸宅でのんびりと好きなことをして暮らせたら、どんなにか幸せだろう、だからこそお金持ちになりたい……。こうした願いは大多数の日本の庶民のものではないと思う。が、韓国の庶民にとっては昔ながらの強固な願望であり、まさしく現在のもの。この違いは、日韓の経済的な豊かさの違いからくるものなのだろうか? 私にはどうもそうとばかりは思えないのである。  日本人は「みんなの中流」に自分も参加できればよいのであって、そうした参加を可能とする意味での豊かな社会を実現したのである。だから、たとえお金があっても、次にはいっそう派手やかな上流生活をと、お金を費やそうとする人は少ない。日本の庶民が上流生活を目指すことがあるとすれば、これからやって来るかもしれない「みんなの上流」時代への参加意識、それ以外にはないと思える。  アメリカの庶民はそうではない。なんとかマイホームが確保できたら、次にはもっと広くて豪華な家を目指し、次にはプール付きの家を、次にはミニゴルフ・コース付きの家を、またエレベーター付きの三階建ての家を、というように、収入のアップに応じて生活階層のランクアップを図って行こうとするのが普通だ。常により高い生活レベルを欲望してやまない。  韓国庶民の生活感覚もこのアメリカ型であり、世界的にはこうした欲望のあり方のほうが一般的だと思うのだが、日本の庶民はどうもそのへんを理解しがたく感じているようである。  この五月、仕事でソウルに行ったときのこと。手配してもらった宿が、たまたま客室の豪華さが売物のロッテホテル新館だった。きらびやかなシャンデリアの輝き、華麗な曲線美に金糸織の花飾模様のシートが映えるロココ調の宮廷椅《い》子《す》、絹布をまとう伯爵夫人にお似合いの王朝風ベッド、金・銀のモールに縁どられたぶ厚いカーテン、また鏡台、姿見など金で縁どられた調度類、すべてに金メッキが施されたバスルームのコック類、とまあ、とにかくすごい。  さっそくソウル在住の従姉《いとこ》に電話をかけて、「とにかくすごいんだから、ねえ、ちょっと来てみない?」と呼び出しをかけた。やって来た彼女は目を丸くして部屋中を見て回ると、ため息をつきながら「こんな所にずっと住んでいられたらいいわね」と言う。偽らざる正直な気持ち、当然とばかりに私もうなずいた。  その夜、同じタイプの部屋に宿をとる同行の日本人ビジネスマンたちとお酒を飲んだ。誰が言い出すでもなく、話題が自然と部屋の豪華さに及んだところで、私は「あれほどの部屋をこれだけたくさんそろえているホテルは世界でも珍しいんじゃないですか?」と口をはさんだ。すると一人が、「確かにね、でもこんな所は一、二泊するにはいいけど、とても住む気はしないね。だって落ち着けないでしょう」と言う。「他の方は?」と聞くと全員が同じ意見。私はそこでようやく、彼らがみな日本人であることを今さらながら思ったのである。  美味しいものはたまに食べるからいい、贅沢はたまにするからいい、そう話す日本人をかつての私は不思議な人たちだと思った。なぜ、いつも美味しいものを食べていたい、ずっと贅沢をしていたいと言わないのか、そう思った。  その後日本式の「たまの贅沢主義者」へと転身した私は、がぜん日本の伝統社会に興味をかきたてられた。ハレ(晴れやかな特別の日)とケ(地味な日常)の循環を生活リズムとした農耕社会、質素をむねとした武家社会、貴族文化なき庶民文化の社会……。ハレとケの生活感覚は現代韓国の都市社会にまず残っていない。そして、あとの二つは韓国にはない社会的な伝統である。 韓国薬剤師の権威と弁舌  韓国人の薬好きは有名だが、それは漢方に発する薬信奉、道教的な不老長寿の希求などに深く根ざしたものと思われる。日本よりも東洋的な医術への信頼が高く、韓国の薬剤師には自ら患者の容態を聞いて処方する資格があり、社会的にも医者と同等の権威をもっている。それに加えて、近年まで医療保険の制度が普及していなかったこともあり、ちょっとした病気ならば病院よりは薬局へ行くのがいまでも一般的である。  私は日本の薬局で薬を買うとき、いまだに不安な気持ちにおそわれるときがある。たとえば薬局で病状を訴えて薬を頼むと薬剤師は「まあ、これを使ってみて下さい」といったあんばいで薬を出してくる。そこで「これを飲めば治るんですね」と念をおすならば、「しばらく使ってみて治らなかったら病院へ行ってみて下さい」と言われるのが普通だろう。日本へ来て間もなかったころの私は、そうした薬剤師のいかにも自信のなさそうな言い方に腹をたて、「治るんですか治らないんですか、はっきりして下さい」と文句を言ったことがあった。すると薬剤師は、「人によって治る人も治らない人もいますからね」と言う。何のために薬を売っているのかとプリプリしながら薬を買っていたものである。  韓国の薬局ではそのような言い方をする薬剤師は絶対にいない。心細くなっている病人は、権威ある薬術専門家の立場から「これで治ります」との断言を与えられるからこそ、安心してその薬を飲むことができるのである。韓国では商売を軽視する傾向がいまだに強いが、薬局だけは例外で、単なる商店の一つではない。日本や欧米諸国のように雑貨を一緒に売ることはないし、店先に商品を並べることもなく、入口の戸は常に閉じられている。薬剤師はきちんと整理された薬品棚を背に、多くの場合、日本のような純商業的な陳列ケースよりは少々重厚なカウンターを挟んで客に対する。店内に商品のイメージはなく、病人を迎え入れるにふさわしい落ち着いた雰囲気をもっている。また、どの薬局にも調剤室が設けられており、病状しだいでは、一般の売薬とは別に手早く処《しよ》方《ほう》箋《せん》を書き調剤をしてくれる。  韓国では話の上手な人を「薬商人のようだ」と言う。社会的に権威ある者、人に尊敬される者とは、韓国では人を教え諭す説教に秀でている者のことでもある。それは儒教的な身分社会の伝統的な価値観でもあり、教師、牧師、政治家、薬剤師など、いずれも弁舌の巧みさを旨としている。漢方医療家のなかでも、薬を処方する者はとくに社会的な身分が高かった。その名《な》残《ごり》が根強くあるため、患者は薬剤師の自信に満ちた言辞を期待し、またそれによって安心感をもつのである。  私は季節のかわり目にはしばしば喉《のど》を痛め、病院へ行ってもなかなか治らないことが多い。あるとき、韓国の新聞で喉によく効くという新薬の広告を見つけ、たまたま国へ帰ったおりに薬局へ寄ってその薬を頼んだ。すると案の定、薬剤師はこう言うのである。「そんな薬は一時的に効くだけですよ。病院に行っても簡単には治りませんが、三日も飲めば完治する薬を調剤してあげましょう」。韓国薬剤師の常《じよう》套《とう》句《く》である。そうした勧めには乗らずにあくまで新薬を買うつもりだったが、母国の薬剤師にそう言われてその気になるところは、やはり私も韓国人である。勧められるまま、新薬の五倍の金額を払って余分に五日分を買ってしまった。三日後を楽しみに飲みはじめると、二日目から喉が大分さわやかになってきた。そのまま五日間飲み続けてすっきりした感じが続いたが、六日目にまた元に戻ってしまい、仕方なく日本の病院へ通った。そして、いつものように、気候の安定とともに健康もしだいに回復していった。 日本の3Kと韓国の3D  最近の韓国では3Dという言葉が流《は》行《や》っている。日本の3Kを真《ま》似《ね》て英語のDanger, Dirty, Difficultの頭文字をとったものだ。通常の仕事よりも三〜四倍の給料を得られるものの、3D仕事は慢性的な人手不足となっている。そのため、今年(一九九二年)の始めに中国から数万人の労働者を受け入れたりもしている。その点では日本と似ている。しかし、日本の場合は全般的な人手不足であり、韓国の場合は3Dに人が足りなくて困っている反面、大量の大卒者が就職浪人の状態にあるのだ。日本人ならば大学を出ても希望の仕事が見つからない時、臨時に3Kの仕事につく人は多い。しかし韓国では大卒者が二〜三年間本格的な仕事が見つからなくても、まず3Dにはつこうとしない。親にしても子供には3D仕事をして欲しくないという人が多く、その間の生活費を出すことをおしまない。  日本の3Kは文字通りの「危険・汚い・きつい」だが、韓国の3Dはそれ以上に「みっともない・恥ずかしい・卑しい」というイメージ、価値観が先行する。韓国から友達が来て電気製品を買いたいというので秋葉原を案内したときのこと。あるタックス・フリーの看板のかかった店に入ろうとすると、入口でマイクを手に「いらっしゃいませ」を連発していた若い男性が私たちに近づいて来て、説明をはじめた。二人が韓国人であることを知った彼は、自分も大学生時代に韓国へ行ったことがあると、たどたどしい韓国語で話す。その瞬間、友達は「えっ」と一声あげ、驚きの表情を隠さなかった。そして店を出ると、「あの人本当に大学を出たのかなあ、もしそうなら、なぜあんな仕事を恥ずかしくもなくできるのかしら」と言う。店先で客を引く仕事は明らかに3Dの一つ、韓国では大卒者がするものではなく、学問のない社会的な地位の低い者がするものなのだ。また、大卒者がそうした仕事に就いて経歴に残ったりすると、それでイメージダウンとなり、いい仕事につくのが難しくなってしまう。  それに対して、日本の3Kは嫌がられこそすれ、決して卑しい仕事とはみなされていない。以前私が日本語を教えていた韓国人の生徒が久しぶりに訪ねて来た。彼女は日本へ来てから二年になるが、その間新宿歌舞伎町で韓国人専用のサウナで全身美容マッサージの仕事をしていた。マッサージ師は典型的な3D仕事であり、とくに技能的な仕事は韓国では最も卑しい者が就くものとされる。彼女はにこにこ笑いながら私の部屋に入るや、素敵な話があるから是非とも聞いて欲しいという。「日本に長くいると韓国では考えられないこともあるんですね。いまの職場では、みんなが私のことを先生と呼んでくれるんですよ、夢みたい」と話を続けた。  それまでの職場では、客の韓国人ホステスの差別的な言葉や侮《ぶ》蔑《べつ》的な態度にじっと我慢をしながらの毎日だった。二カ月ほど前、ある日本のサウナが韓国式のエステ・サロンをはじめ、人から紹介されて職場を移した。彼女は韓国で十年以上この仕事をしてきたベテランである。お客もマッサージ嬢たちも、みな彼女の熟練した手の動きは、とても真《ま》似《ね》することはできないと絶賛し、誰からということもなく、自然に彼女を先生と呼ぶようになったのである。彼女は生まれてはじめて他人から尊敬される自分を知った。この嬉《うれ》しさのわかってくれる韓国人はいないかと思って、一人だけ頭に浮かんだのが私だったという。「もう、韓国へ帰りたいという気持ちはなくなったわ」と彼女。日本人は韓国人のようにチップをくれることがないから、収入はかつての半分にもならない、それでも、これまでの人生で最も充実しているこの時を絶対に手放したくはないと言う。 ロス暴動と日韓摩擦の固有性  一九九二年のロス暴動では、二千軒に及ぶ韓国人商店が焼き打ちされ、その背景に韓国人のレイシズムのあったことが、はからずも世界的な注目を浴びた。それを韓国人の執《しつ》拗《よう》で侮蔑的な反日姿勢の印象と重ね、「やはり」の感触をもった日本人がかなり多かったように思う。実際、事件からしばらくの間は、ほとんど会う人ごとにロス暴動についての意見を求められたが、私が発言すればするほど、このダブルイメージが相手のなかでよりリアルなものとなってゆくことを感じさせられた。  これまで、韓国人と外国人との摩擦問題で主要なものは、常に日本人との間の問題であった。そのため、日韓摩擦と言えば、問題の根は何をおいても、日韓に固有な旧植民地宗主国と従属国の関係に求めることが常識化されてきた。だからこそ、観光キーセン問題から日系企業の撤退問題、従軍慰安婦問題に至るまで、いずれも「旧日帝」に端を発する日本人の侵略的・差別的な姿勢への無反省によるものという、反日の型枠へと機械的に当てはめる観点が、日韓の言論界で幅をきかせてきた。そこでは、韓国人の排他的、独善的な民族主義的姿勢は、相手が日本人だからこそのこととされ、とくに韓国人や韓国社会のあり方に問題点が求められることも少なかった。  しかし、ロス暴動をきっかけとして、アメリカ在住の韓国人の生活のあり方が、さまざまな面から報道されるようになって、「対日本に限った排他的・独善性」という常識には、少なからず疑問を抱く人が多くなった。一方私は、韓国の国際化がすすめば、早晩、あちこちで韓国人による民族摩擦の問題が起きることは疑いないと思っていた。したがって、私自身が「やはり」と感じたことは当然だが、多くの日本人もまた「やはり」と感じたであろうことも、これまたよく理解できることだった。そしてこの「やはり」の感触は、日韓摩擦がその固有性とは別に、韓国人に特徴的なレイシズムともつながることを、一般の日本人がはじめてリアルに意識した体験であることも間違いないだろう。  ただ、日韓摩擦で私自身が関心を集中させてきたことは、旧植民地時代の確執に帰属する固有性とも、韓国人と他民族との間に生起する摩擦の一般性とも異なっている。両方の問題をはらむことは否定できないが、それらとは別に、当事者二者間に固有に発生する、ことさらな関係意識が根にあり、そこに照明があてられていないことが、根本からの問題解決を困難にしている、というのが従来からの私の考えであった。  そのため私は、しばしばロス暴動の背景とのダブルイメージで日韓摩擦が語られるようになって、もっともなことだと思う反面、そこに、ややもすれば当事者性を離れた一般論へと流れてしまう傾向を感じ、少しばかり危《き》惧《ぐ》の念を抱いてもいる。 「身内問題」となっている従軍慰安婦問題  韓国人が一般に、きわめて強固なレイシズムの持主であることは確かだが、日本攻撃をするときの韓国人の位置は、他のアジア人や欧米人へのそれとは根本的に違っている。同様に、それを受ける日本人の位置も、他のアジア人や欧米人に対するそれとは確実に違うものとなっていると思う。私が日本人とのつき合いの中で感じ続けてきたことは、お互いが無意識のうちに「近親・身内」のイメージをつくり合っている、ということであった。  小異を捨てて大同につかなければならないとき、かえって小異を問題の核心としてしまいがちなのが「近親・身内」の間柄である。他人ならば許せることが、ときに許せなくなる間柄なのである。相性のよい兄弟では互いに似ていることは喜びともなるが、そうではない場合は、似ていることが逆に激しく憎悪をかきたてることにもなってしまう。  韓国の社会は歴史的に、同質な環境の中で徒党や派閥などの小さな相違点を軸にして、激しい対立と結集を繰り返してきた。この衝突パターンが、顔形も文化もよく似た兄弟のような日本人に対して、そっくりそのまま再現されている。そして日本人の方はと言えば、これに反発する人も受け入れる人も、やはり多くが無意識のうちに「近親・身内」のイメージに取り込まれているように思える。  かつて「従軍慰安婦」として徴発された韓国女性たちの戦後の人生については、日韓という二つの国と二つの社会に責任があるのは自明のことだ。にもかかわらず、この問題はあたかも一国内部の身内紛争の様相をていしている。対象とされるのは列島に主権をもつ政府と社会だけで、半島に主権をもつ政府と社会への責任はなんら追及されることがない。そして、問題は列島に主権をもつ政府の裁判所で争われようとしている。半島の政府と社会は、彼女たちの戦後人生に対して、いったいどんな保護や援助を与えてきたというのか、その責任はいっさい問われることがない。  もし韓国人が戦後賠償を不十分と考えるのならば、韓国政府に対して、一九六五年の日韓条約の書き換えを含めた日本政府との再交渉を求めるのが筋であることは、これまた自明のことである。にもかかわらず、この問題があたかも「身内問題」のようにすりかえられてしまうところには、日韓に固有な特殊な関係意識があると考えなくてはならない。 韓国側のこれまでみられなかった反応  韓国での「従軍慰安婦問題」の報道の大半は、従来からの反日姿勢の枠を出るものではなかったが、幾分か新しい動きもみられた。日本のいくつかのメジャー誌上で、これまでになく厳しい反論が何回かにわたって掲載されたが、それに対した韓国のメジャー紙誌の記事の中には、これまでとは微妙に異なる反応がわずかながら含まれていた。  たとえば『東亜日報』は、韓国で反論記事が出たことを紹介しつつ、「共産党が勢力を失ったので、敵をなくした右翼が韓国攻撃に乗り出し、韓国をめぐって右翼と左翼がやりあっている、という見方も日本にはあるようだ」など、「主観」を離れた「観測」を述べることもしている。また、月刊誌『新東亜』(一九九二年四月号)では、日本の雑誌に掲載された反論に対する激しい再反論をいくつか掲載したが、そのなかで、東亜日報東京支社長の鄭《チヨン》求《グ》宗《ジヨン》氏は「両国知識人の責任は大きい」と題して、次のように発言している。   「〔日本の〕一部知識人たちの雑誌を通じた意見の披《ひ》瀝《れき》は、そのまま社会全体の意思を反映するものでは決してない。それに感情的に反応することは好ましくない。表現のひとつふたつで興奮して反発するのではなく、その裏に隠れている意図を看破し、それに論理的に対応することのできる歴史的事実の追究作業が好ましい。日本に起きている社会的な変化の事実を追跡して効果的な対応策を探していくことが急がれる。……アジアの中で両国知識人の果たす役割は大きい。旧時代の感情的発想の繰り返しを越えて、冷静で現実的な判断のもとでの対応がお互いに要求される。いまの日本の知識人社会〔の中心〕は、現実感覚を身につけた中堅の学者・文化人へとだんだんと変わっていっている。彼らがより賢明な歴史認識を基本にして新しい韓日関係の構築に力を注ぐ、知的な活動を展開してくれることを期待する。そして韓国の知識人たちは、やはり、いっそう難しい相手として登場した彼ら新人知識人グループを研究し、賢明に対応する知的な精神作業を急がなくてはならない」    また、韓国の週刊誌『週刊女性』 (一九九二年三月一日号)は、日本の雑誌の反論記事を翻訳掲載し、「韓国人にはぎょっとするような議論が展開されている」とコメントを付しながらも、ともかくも「無視することなくきちんと読むことが必要だ」という姿勢を示した。  これだけでも韓国では新しいことなのである。わずかではあるものの、日本人の意見を一応は冷静に受けとめようとする兆候が出はじめている。  ロス暴動についての報道も、その多くは韓国人側に都合のよいことばかりを集めたものだったが、『東亜日報』は経済評論家の池《チ》東《ドン》旭《ウク》氏による、在米韓国人の自民族絶対主義や排他的なビジネス感覚を批判する論評をも掲載した。 ロス暴動後の韓国人の反省  一九九二年の七月初めから、ロスアンゼルスに三カ月ばかり滞在することになった。アメリカははじめての土地である。第一印象はとにかく開放的、明るい、派手、大きい、に尽きた。ロス近郊の住宅街の家々には塀がなく、どの家もまるで軽井沢の別荘のような造り。湿気が少なく太陽の光線が強いので、遠くまで見渡すかぎりの明るさ。芝生の緑の鮮烈な輝きを受けて、水をやる老婦人の真っ赤なシャツが燃え立っている。レストランでランチを注文すると、日本でならばまず二人で食べてもおかしくない分量。飲み物のグラスもかなり大きい。窓の外を、黒人、白人、東洋人がそれぞれ思い思いの服装で通りすぎてゆく。何か、あまりにも自由という感じ、豊かだという感じ、派手だという感じ、大きい広いという感じ、なるほど、これがアメリカの魅力なのかと、ともかくも納得した。  とは言え「安全地帯」にたかだか数日間を過ごした、ごく表面的な感想に過ぎない。近々に問題のコリアタウンへ行ってみるつもりだったが、とりあえず郊外にあるスモール・コリアタウンへ寄ってみた。この辺に住んでいる韓国人はかなり豊かで教育レベルも高く、ダウンタウンの韓国人を一段低く見ているようだ。ロス近くの観光地にズラッと並ぶみやげもの屋では韓国人がずい分目につくが、半分以上の店が韓国人の経営とのこと。ここでも、ダウンタウンの韓国人とは違って、アメリカ人を相手に商売していることが誇りとなっている。たまたま入った店の主人にロス暴動の感想を聞くと、「あそこに住んでいる韓国人は同国人しか相手にできない小さな人たち」だと言う。そして「自分たちの方が他の民族より偉いと威張っては衝突しているんです、だから黒人にもやられたんですよ」と、いたって冷たい批判の言葉が返ってきた。ロス暴動をアメリカの韓国人一般の問題とは見ないでほしいとの、熱のこもった口調であった。 『コメリカン』という雑誌の七月号は、全一四五ページのうち一四〇ページが「LA暴動の始めと終わり」という特集記事で埋まっている。記事のほとんどで「我々は深く反省しなくてはならない」という主張が繰り返されている。主なフレーズを拾ってみよう。 「我々は白人に差別された恨みを黒人に向けはしなかっただろうか」、「黒人の街に入り込んだ我々は、彼らをどれだけ理解しようとしたのだろうか」、「小さな街で儲《もう》けた金でベンツに乗って威張りちらし、彼らの目に醜い姿を晒《さら》したのではなかっただろうか」、「自らを、優秀な頭脳と鉄のような勤勉と富の代名詞ででもあるかのように、高慢な表現で彼らに接しはしなかったか」、「金と冠を得ることしか頭になかった一世たちは、韓国人コミュニティの主導権を、一・五世や二世たちに譲らなければならない」などである。またある記事は次のように言う。 「あなた方コリアンは南北戦争をやりましたか、この地に鉄道を敷きましたか、民権運動に命をかけて参加したことがありますか、いつからこの地に入ったといって我々を軽く見るのですか、韓国人商人たちはなぜ客である我々の目をきちんと見ることもせず、笑い顔を見せることもしないのですか[これは韓国人の性格に対する誤解ではある——筆者]、なぜ我々を傭《やと》わないのですか——こう叫ぶ黒人の立場を我々は理解しなければならない」  一方には黒人地帯から離れようという意見もある。「この機会に単純労働から離れ、日本人のように高級な業種につけば、黒人とつき合わなくてもすむ」といったものである。が、それが理想に過ぎないこともまた、彼らにはよく理解されてもいる。いずれにしても、韓国人がこれだけ集団で反省の意を示したのは、歴史的にも初めてのことだったのではあるまいか。 ロスのコリアタウン  ロス地域だけで一日平均四〇件の強盗、殺人などの事件が起きていると聞けば、そのメッカ、ダウンタウンにはおいそれと足が向くものではない。なかでもコリアタウンのある地域が最も犯罪多発地域だというから困ってしまう。なにしろ私のアメリカ滞在の目的は、「アメリカにおける韓国人の実態調査」ともいうべきもの。したがって、恐れをなして「安全地帯」に居座っているわけにはいかない。勇気をふりしぼってダウンタウンへと車を走らせた。  フリーウエーから望む、朝の太陽を受けてキラキラと輝く高層ビルの林立。ビルとはこんなにも綺《き》麗《れい》に見えるものなのかと思わずにはいられない。若かりしころの私は、まさしくこんなアメリカの都市の光景に憧《あこが》れていた。「恐怖のダウンタウン」もあらばこそ、美しい自然に身を投げるような心持ちで、フリーウエーを下りて街の中心部へ向かった。  感動もつかの間、あちこちにゴミの固まりが転がっている道路、落書きだらけでところどころが崩れた壁、そこかしことボロ着姿でうろつく黒人たち……荒涼とした廃《はい》墟《きよ》のような街がそこにあった。すでに繁栄の時代を終えたアメリカを見ているのだろうか。そろそろと車を走らせていると、ホテルのロビーで聞いた「理由もなく撃たれてしまう」という言葉が耳の奥から小さく響いてくる。  早くこの街を抜けよう。アクセルをふかすと、すぐに赤信号に行く手をはばまれた。そのとき、歩道からヨレヨレのズボンに上半身裸の黒人がふらふらと私の車に近づいて来る。そして、手に持った紙クズでフロント・ウィンドーをちょこっと拭《ふ》き、手を差し出して金を要求してくる。心臓が高鳴り足がブルブルと震える。信号が青になっても車の前に立って行かせようとしない。「金をやるとかえって危ない」とも「五ドルで命が助かる」とも言われる。どちらにすればいいかの判断もつかず、私は血の気の引いた顔を下に向けて、ただただ身を固くしてじっとしていた。そしてふと顔を上げると、男は諦《あきら》めたのか、私の車を離れて歩き出していた。  何台か車があったのに、なぜよりによって私の車に? 他の車はみんなしらん顔で行ってしまう、なんて冷たいのか。プリプリしながら、わが同胞たちの拠点、コリアタウンへと車を急がせた。しだいにハングルの看板が目立ちはじめてくると、なんだかホッとした気持ちになり、ひとりでに顔がほころんでくる。なにはともあれ、コリアタウンの中心へ行き、情の厚い韓国人のいる喫茶店へでも入ってゆっくりしたいと思った。しかし、街はだんだんと殺伐とした現実の顔をのぞかせはじめていた。ロス暴動の残《ざん》骸《がい》を積み上げた店舗が点々と続き、歩道はまるでゴミためのように汚物の散乱するがままの状態だ。街は完全に死んでいるように思えた。力なく道端にたむろする黒人たちばかりが目立ち、韓国人はまれにしか見えない。  やっと見つけたカフェーに入ると、そこは韓国人の老人たちでいっぱいだった。気安く韓国語で話しかけてみると、だいたいがお店のオーナーで、経営を他人に任せている人たちなのだと言う。この、実にのんびりとした光景は窓の外の世界とはあまりにも対照的である。黒人の子どもたちと韓国系の子どもたちとが店の前で仲良く遊んでいる。垢《あか》に汚れた服の黒人が店に入って来て、テーブルを回りながら手を出しては金を無心している。だれもが、気にとめることもなくしらん顔をしている。喫茶店を出て、取材先の韓国系移民たちの商工会議所へ行った。私が「怖い所ですね」と言うと、所長は「とんでもない、まったく怖くなんかないですよ」と力説しきりであった。怖くはない。そう、彼らはこの街でこそ生きてきたのだから。  ㈼ 文化の合わせ鏡 韓国人は「間」をとることが苦手 「あいだをとる」ことの難しさ  日本人は「間をとる」ことが好きだし、またとても上手である。この「間」は、「あいだ」と「ま」とでは多少意味が違ってくる。「あいだをとる」のは、二つの意見が対立したときの解決方法などでよく行なわれるもの。「まをとる」のは、緊密すぎると感じられる距離や時間を緩めようと行なわれる。いずれも、緊張関係を和らげてよりリラックスしたものにしようということだろう。  もちろん韓国人でも「間をとる」ことはあるのだが、そういうやり方があまり好きではなく、またいかにも下手である。韓国人の場合は日本人とは逆に、相手との距離が近いほどリラックスできることが多いようである。また、二つの意見が対立すれば、どちらが勝ちなのかを決めようと、とことんまでやってしまうのである。したがって、私は日本に来て十年になるけれども、その点でいまだに当惑することも多い。  日本のビジネスマン二人と話していたときのこと。一人はどちらかと言うと韓国のよいところを誉《ほ》める。もう一人は韓国の悪いところを批判することが目立つ。この二人がそれぞれ韓国についての持論を展開しているうちに、なにやら雲ゆきが怪しくなってきた。韓国を誉めていた方のビジネスマンが「あんたの言うことは話にならん」と怒り出したのである。もう一人は「あんたみたいな人が多いから韓国とはうわべだけのつき合いになっちゃうんだ」とやり返す。  二人とも私の方をちらちら見ての激しいやりとり。批判的立場の彼がトイレに立ち、その間にもう一人の彼が「困ったもんですよ。ああいう一方的な言い方しかできないんだから」とぐちをこぼしながらも、「でも言いたいことはよくわかるんですよ」とうなずくのである。  トイレから帰って席についた彼氏、「呉さん、この人はね、ぼくのことをよく韓国人的だって言うんですよ。口調が激しいからですかね? 確かにこの人は日本的ですよね。性格は温和だし、相手を誉めるのがうまいんだから」と笑い顔を見せる。もう一人の彼氏は、「ぼくはよく言うんですよ、あなたの先祖は韓国じゃないの? なんてね」とニヤニヤしている。  わけのわからない内に、二人はもう中間の緩衝地帯に入り込んでいる。  後で感じたことなのだが、二人は私に上手な仲立ちを期待していたのではないかと思う。私は二人の話の進展が興味深かったし、対立のポイントがしだいに見えてくるようで、内心、もっと先をと期待していたのだった。  意見の対立があるところまで行ったら、対立は対立として残しながらも、そこで一時的に矛を収めて緩衝地帯に入り、またの機会を期す。これが日本人の闘い方の基本パターンであるようだ。こうしたやり方は、「あいだをとる」位置への移行が習慣のように身についているからこそできることだろう。 野球には「まをとる」技術が大切  日本人がしばしば「間をとる」ことを選ぼうとするのは、一面では緊張関係に耐える力が弱いということでもあるように思う。そのため、他人との距離をつめて接近することがなかなかできない。  日本のボクサーに、相手の懐に飛び込んで相手を倒そうとする攻撃型が少なく、ほとんどが足を使って相手の攻撃をかわし、相手を疲れさせて勝とうとする、アウトボクシングのタイプであることも、その辺と大いに関係があるように思う。韓国のボクサーはほとんどが攻撃型のタイプである。  日本人特有の接近嫌いの背景には、どうも距離をつめることへの恐怖があるのではないかと思う。それがボクサーの闘い方にも影響しているのだとすれば、ボクシングで日本が世界的なレベルをつかむことはまず難しいだろう。その点、韓国の方がずっと可能性があるように思う。  これが野球だとどうだろうか。プロ野球の日韓親善試合を見て、「やっぱり」と思うことがいくつかあった。  韓国のあるチームのコーチをしている日本人の解説を聞いてなるほどと思ったのだが、韓国のピッチャーは、ストレートが主体で変化球に乏しい。また、バッターも左右に打ち分けたり、コツンと当てるバッティングが下手で、おもいっきり引っ張るバッティングが目立つ。守備では、前方のボールに突進することは上《う》手《ま》いが、着地点まであらかじめバックして捕球することが下手である。  明らかに、韓国人選手に欠けているのは、タイミングを合わせること、「まをとる」ことの技術である。もちろん、プロ野球の歴史が違うから一概には言えないが、いかに「まをとる」かよりも、いかに「まをつめる」かが韓国プロ野球から感じられる「意志」であった。  日本人野球選手について、「彼は力があるのに、どうも気が弱いので実力が出せていない」という評価を聞くことが多い。韓国人選手ならば、まずそういったことはないに違いない。気が強いのであるが、それは日本人のように、距離的な接近に恐怖を感じることが、比較的少ないからだと思う。  ボクシングのように、直接に力と力をぶつけ合う勝負ならば、結局は、距離をつめての必殺技をもっている方に分がある。しかし、野球はボクシングよりも、距離や時間の「まをとる」ことをいっそう要求される勝負である。相手にヒットがあってこちらがノーヒットでも、勝つことのあるスポーツである。でも韓国人の気質からいうと、力で圧倒しなくては勝った気がしない。したがって、たくさんヒットを打ち、たくさん三振をとれば、負けても負けた気分にならないだろう。そこで、日本人コーチがこぼしていたように、「なぜ負けたかの反省がない」ということにもなってしまうように思う。  どうも野球は「間をとる」ことの技術が不可欠のスポーツのようである。 韓国人が中間が嫌いな理由  韓国人が「間をとること」、つまり中間が嫌いなのには、いくつか理由がある。ボクシングや野球のことを頭に、お聞きいただければ話がはやいかと思う。  その一は「なんでも一番が好き」ということ。  学校の成績にしろ、仕事の業績にしろ、努力の結果トップに立ったとすれば、いくら中間が好きな日本人でも、やはり嬉《うれ》しい気持ちをもつのは人情だろう。でも、トップに立ちたいという願いや執念の強さとなると、韓国人は日本人の比ではない。何につけても一番がきわめて好きな国民である。日本のサンシャイン六〇階よりも三階高い六三階建ての63ビルを建てたのも、なによりも日本を越えた「東洋一」を誇りたいからである。  その二は、「強い表現を好む」ということ。  自分を強く外に押し出そうとする個性の持主が対面するとなると、どうしてもどこかで優劣を競い合うことになってしまうのが常だ。互いの強い表現がぶつかり合うことになるからである。その点、もともと自分を外に押し出そうとする「出す力」が弱く、逆に「受ける力」の方に強さのある日本人では、私の体験から言っても、そうした対立が起こることはあまりないように思える。が、韓国人は逆に「出す力」が強く、「受ける力」が弱いため、激しいぶつかり合いはいわば日常茶飯事のこと。  その三は、「輪郭をはっきりさせたがる」ということ。  日本人と話していると「そうだと思わないでもない」など、きわめて曖《あい》昧《まい》な表現にぶつかって面食らうことがよくある。こうした表現は韓国人ならばまずしない。回りくどい言い方を嫌い、きわめて直《ちよく》截《せつ》な表現でズバリと言うことが好きである。はっきりとした輪郭は外面的な形を浮き立たせるが、輪郭の曖昧さは内面へと人の注意を向けさせる。そこにかかわる日韓の文化の違いは、かなり根本的なことであるように思う。  さて、日本人が好む中間とは、「あれでもない、これでもない」として対立を避ける位置であるけれども、他方では対立する両者を媒介して第三の何かを生む可能性をもった位置でもあるように思う。  一方、中間を嫌い「あれかこれか」でものを考えようとする韓国人が好む位置は、常に、現実の黒白、左右、上下の区別をはっきりさせようとする位置と言えるだろう。この位置を生かして新しいものを生み出すには、「これしかない」という独創的なアイデアが不可欠のものとなってくるように思う。人々が独創的なアイデアを養い育てることのできる基盤は、いまの韓国でどのように形づくられているだろうか。 韓国の味と日本の味 韓国人はキムチなしでは生きられない?  知り合いの日本人ビジネスマンと韓国料理店で食事をした。「おまかせします」とのことで、私はサムギョプサルに豆腐チゲ(鍋《なべ》)とカルチ(タチウオの煮つけ)を注文した。 「サムギョプサルは、ブタ肉の薄切りをこうしてジュウジュウと焼いて、このごま油と唐辛子味《み》噌《そ》をつけて、こちらのサラダ菜に長ネギの千切りと一緒に包んで食べるんですよ」 「うん、これはいける。野菜に包むとずい分と味が柔らかくなるもんですね」  それまで豆腐チゲにちょびちょびとハシを動かしていた彼は、「これなら」という感じでしきりにブタ肉を焼きはじめた。それからしだいに舌が慣れていったのか、ようやく豆腐チゲをも平らげた彼は、フーッと深いため息をひとつつくと、しみじみとした口調でこう言うのである。 「和食は味が薄いからいくら食べても飽きませんが、韓国料理は味が濃くて強いから、毎日食べていたら飽きてしまうでしょうね」  私は突然虚をつかれたような感じがしたが、思わず「味が強いから飽きないんじゃないですか?」と言うと、彼もまた「まさか」とでも言いたげな顔をして私を眺めるのだった。  私は韓国人としてはけっこうの和食党である。でも、とうてい和食ばかりを続けて食べることはできない。とくに、食欲がないときには必ず韓国料理を食べる。それは今でも変わることがない。私にとっても、薄味の和食は微妙な味わいへの楽しみはあっても、「食欲をそそる」ものではないのである。  ある雑誌から対談の依頼があり、「懐石料理でもつつきながら……」とのこと。私は承諾しながら内心小躍りして喜んだ、じっくりと日本の味を楽しめると。が、当日の二、三日前から身体の調子がよくなく、また前日にちょっと嫌なことがあったので気分も重く、その日は朝からまるで食欲がなかった。そんな私の前に、一流の懐石料理が次から次へと運ばれてくる。どうしても手が出ないのである。こんなとき、キムチでもあれば食べられるのにと、料理人が聞いたら顔を真っ赤にして怒り出すだろうことを思ったものだった。  この話を知り合いの日本人にすると、実に不思議そうな顔をしてこう言うのである。 「だって、食欲がないわけでしょう? そんなときこそ、さっぱりした味がいいじゃないですか、懐石料理ならそんなときちょうどいいでしょうに。キムチでもあればって? それはわからないですね。食欲のないときになんであんなに強くて重ったるいものが食べたいんですかねえ。それにしても、懐石料理を食べなかったなんて、ああ、もったいない」  私ですらそうなのだから、日本の味の端っこすら知らない韓国人の「キムチ熱」はもっと凄《すさ》まじい。韓国から遊びに来た女性たち三人を連れて温泉旅行に行ったときのこと。旅館では山海の珍味がどっと出た。私はご機嫌であちこちとハシをのばしていたのだが、彼女たちはせいぜいお刺身に手を出すくらい。山菜にしろ、鱈《たら》と野菜の鍋物にしろ、椎《しい》茸《たけ》のおすましにしろ、「まるで味がないのね」と、それぞれを少しずつ口に入れては落胆しきり。それ以上はほとんど手がつかない。おかずの味が弱いからと御飯もほんの少し食べただけ。  次の日はさらにひどいことになった。彼女たちはほとんど食べようとしないのだ。いや、キムチがないから食べられないのだと言う。その晩、三人は「キムチ、キムチ」と騒ぎ出し、「ア〜、キムチの食べられない私の運命は〜」と恨《ハン》をこめてのキムチのタリョン(打令=哀嘆を湛《たた》えた民謡のリズム)をやり出すしまつ。  翌日、私は仕方なく彼女たちを連れて、どこかにキムチはないものかと観光も忘れて街中を探し回った。しかしどこにもキムチを売っている店はなかった。彼女たちは、このままだとお腹《なか》が空いて死んでしまう、とにかくキムチだと言う。三泊の予定だったが、私たちは旅館に帰って荷物をまとめると、その足で特急に飛び乗って東京を目指した。そして上野駅に着くや、ほとんど走るようにして韓国料理の店に飛び込んだというしだい。 洗練された味よりも家庭の温かみを求める韓国  日本人は味噌汁はお母さんの味だと言うが、韓国人には韓国料理のすべてがお母さんの味である。韓国料理は家庭料理そのものなのである。  韓国では、家庭料理から独立した専門料理の発達をみなかった。そのため、食堂や料理屋でも、料理を作るのは家庭同様、女性であることが普通だ。料理は女が作るもの、男は台所(厨《ちゆう》房《ぼう》)へなど入るものではない——韓国でいまなおそうした価値観が一般的に保たれていることが、食堂や料理屋の厨房に男性が関与し難い条件をつくってきた。そのため、職業で料理を作る者については、日本のように「料理人」「調理師」という専門職のイメージはなく、あくまで、お母さんのように料理を作る人にすぎない。  したがって、韓国料理はいまだに、料理法も味つけも伝統的な家庭料理の範囲を出るものではない。中国料理、フランス料理、日本料理のように、調理法や味に専門的な磨きをかけて、ビジネスとして成り立つ洗練されたプロの料理を生み出してはこなかった。そんなわけで、韓国料理は家庭料理そのままの状態をずっと保ってきている。  さらに、韓国料理は味が濃くて強い。しかもほとんど唐辛子の味つけ一《いつ》本《ぽん》槍《やり》の強烈な辛さを基調としている。その強い味が他の微妙な味を圧倒してしまうため、国内に味の「国際化」がきわめて起こり難い。さまざまな商品やファッションについては、日本以上に外国のものを取り入れるのに積極的だが、こと味に関しては別格なのである。  日本の味は薄いので、諸外国の料理のさまざまな味は、日本人の舌に新鮮な刺激を与える楽しみとなっていったに違いない。しかし韓国の料理は、その強烈な辛さで舌をマヒさせてしまうから、日常的に韓国料理を食べていると他の微妙な味をとらえることが難しいのである。だから、韓国では食事は無意識のうちに家庭のイメージとダブッている。したがって、韓国人が食事をしようと言えば、それは洗練された味を楽しもうというよりは、家庭的な温かみを一緒に味わおうということに大きく比重がかかっている。 量も豊富なら味も豊富なものがよい  韓国から遊びに来た小学生の甥《おい》ふたりを連れて日本の食堂へ行ったときのこと。私が「お漬物でもとろうか?」と聞くと「うん、食べたい」というので、料理とは別にタクアンを一皿注文した。出て来たのは小さな皿にタクアンが五切ればかり。ふたりはけげんな顔つきで私の顔を見た。そう、韓国でならばどっさりと山盛にして持ってくる。しかもキムチでもそうだが、漬物は通常サービスで料金を取らない。彼らは、わずかな量でしかもお金を取ると聞いてあっけにとられたような顔をしていたが、それでもタクアンの味は韓国で食べているのと同じもの、次々とほおばっては噛《か》みしめていた。  韓国の食事は豊富な量をよしとする。皿にバサッと大きく盛った料理がところせましと食卓に並べられているのを見て、いっそう食欲をそそられるのである。一方、日本人は目で食べると言われるように、料理の形や色あいの美しさに食欲がそそられるようだ。韓国人にあっては、小さな皿にこぢんまりと佇《たたず》む小綺麗な突出しのバラエティーには、もの珍しさを感じこそすれ、食欲がわき起こってくることはない。ちょっぴりしかないものは貧相に見えて胃袋も縮こまってしまう。少しずつ質を楽しむという悠長な楽しみよりも、迫力のある量を前にしてこそ食の楽しみが増すのである。  また、量の豊富さだけではなく味の豊富さ、つまり、たくさんの味が混ざった濃密な味であってこそ、韓国人はおおいに食が進む。その代表選手が鍋(チゲ)料理だ。鍋料理が好きなのは韓国人も日本人も変わりはないが、その内容はまるで異なっている。韓国の鍋料理は、キムチのお汁を使って、中に入れるさまざまな具の味を一緒に混ぜ合わせた味を楽しむ。日本の鍋料理は、薄く出し汁をとったスープ(韓国人の感覚ではほとんど白《さ》湯《ゆ》)で炊き、それぞれの具の味を別々に楽しもうとするものである。これにもほとんどの韓国人は食欲が出てこない。ぎっちりと詰めこまれた味の塊が感じられないからである。  強く濃く辛い韓国料理の味は、その刺激がスーッと頭の方へと上昇して一種ハイな感覚を与えるところに楽しみがある。微妙な多様性に富む日本料理の味は、逆に頭の方から味をとらえてきては楽しむといったものだと言えるのではないだろうか。  東京には世界の味がある。日本料理も、また伝統的な庶民料理としての和食も、いまやそうした世界の味のひとつとして楽しむものとなっている。日本人だからといって必ず日本料理が好きだということもなくなりつつある。韓国にも世界の味が店を開いてはいるが、それはあくまでよその味で、いまだそれほどに身近なものとはなっていない。また、韓国人で韓国料理を嫌いだと言う者はほとんどいないに違いない。 オンドルとコタツ コタツ、日本茶、庭の三点セット  冬は、しばしば仕事の手を休め、コタツに入って熱いお茶をすすりながら、障子を開け放った部屋から小さく山水を配置した庭をゆっくりと眺めるのが格別。そう言うと、わが友の多くは、「あなたも外人特有の日本趣味に陥ったのか」と笑う。ともかく、何と言われようとも、いまや古典的ともなった、そんな日本的な住環境にこの二、三年来強く憧《あこが》れ続けている。  先日、西那須野にあるお宅を訪問した折、そこにはズバリ、私の憧れの住環境が整っていた。部屋飾りを極力排した涼しげな八畳間、その真ん中にしつらえられた大きめの掘りゴタツに足を伸ばして縁の方に目をやると、静かな音をたてて滝の水を落とす庭の全景がすっぽりと視野におさまってくる。その時にいただいたお茶の美《お》味《い》しかったこと。わずかな時間ではあったが、まさしく「格別」の気分を味わうことができた。以後も、コタツ、日本茶、庭のセットへの恋心はいっそうつのるばかりである。  韓国では、李朝の時代、仏教に圧力を加えたために、仏僧のお茶の習慣が庶民生活にまで届くことがなかった。韓国に茶の種類はたくさんあり、健康のためなどで飲むことはあっても、日常的に気軽に飲む習慣はない。またオンドル文化は、暖房効果を高めるために部屋の内と外を画然と区別し、窓は高い位置に小さく開けることになった。したがって、家の内部から見るための庭を作る文化も育つことがなかった。  コタツがいつごろから日本で普及したのかはよく知らないが、お茶を飲む習慣と外部の景色を部屋に取り込む開放的な家屋構造には実にぴったりの調度だ。同じ座位文化でも、オンドルを利用する韓国式の住生活とは大きな違いがある。日本も韓国も、古くは居間に座卓を常設する習慣はなかった。韓国ではいまでも、韓国式の部屋に座卓を常設している家はほとんどない。素人考えで言うのだが、現代日本人の多くが座卓を常設した座位生活をしているのは、どこかコタツの普及と関係があるのではないだろうか。  私の住生活にもこのコタツ、日本茶、庭の三点セットは、形だけながらしっかり生きている。二年ほど前から、小さなワンルームマンションの片隅に簡単な床を組んで畳を敷き、その上にコタツを置いている。休みの日にはそのコタツに入り込み、申し訳程度についているベランダに並べた鉢植えを眺めながら、日本茶をすする。お客さんを通すにはあまりに貧相なセッティングには違いないが、個人的にはそれで十分な豊さを味わうことができる。負け惜しみではなく、何かイメージの広がりを持てるのである。 夜間暖房としてのオンドル効果  私たちオンドル部屋育ちの韓国人にも、日本のコタツは割合にしっくり来るものだ。観光に来たついでに電気ゴタツを買って帰る韓国人もけっこういる。それはやはり、座る文化の共通性から来る親しみに違いない。ただ、オンドルは夜寝るときに生かすことができるところにより特徴がある。オンドルは三食の煮炊きの煙を床下に通して部屋を暖めるが、夕食後は朝まで床が暖かい。オンドルと言えば、韓国人ならばまず、暖かい布団でぐっすりと眠る心地よさが頭に浮かんでくるものだ。  韓国では夜は、炊事室に接した最も暖かいところに大きな布団を一つ敷いて、家族一同が一緒になって寝る。夜の冷え込み深い韓国ならではの、オンドルの効果を最大限に利用するところからの習慣である。  幼いころに戦前の日本を知る母から、日本では寝る前にはコタツの火を消してそのまま冷たい布団にもぐり込むと聞いて、信じられない思いがした。夜ともなれば、幼いきょうだいたちはオンドルで温《ぬく》もる大きな布団に母と共にもぐり込み、母が静かに語る昔話を聞きながら、いつしか眠りについたものである。近年は経済的に余裕のある家では子供用のオンドル部屋を設ける家族も多いが、家族が一つの布団で寝ることに家族的な絆《きずな》の原点を感じる気持ちはいまだに強い。大人になっても、久しぶりに実家を訪ねれば、母子で一つの布団に寝ることも珍しいことではない。数年前に帰郷した折、母が私と一緒に寝なかったので、姉が母に「久しぶりに来たのにどうして一緒に寝てあげなかったの、かわいそうじゃないの」と文句を言い、母が「ああ、そうだったねえ」と言うのを聞いて、私は住生活では確実に別世界の感覚を持ってしまっていることを実感したものだ。  床暖房としてのオンドルは、韓国の座布団や敷布団を日本よりはずっと薄いものにした。日本の布団はいかにも重くて厚い。しかも湿気の多い土地柄のため、少しでも晴れた日には、マンションやアパートのベランダには、申し合わせたように、ズラリと布団が並ぶことになる。韓国ではこんな光景はまずお目にかかることはない。日本よりずっと湿気が少なく雨量も少ないし、薄い布団はオンドルの熱でほぼ乾燥状態を保つことができる。布団を外に干すのは、六月の雨の多い季節の終わった後と、冬用の布団を使いはじめる秋口ぐらいのものである。 部屋飾りとしての布団といけ花  日本の家屋には、明るく広く窓をとり、外部の世界とできるだけつながろうとする住む人の意思を強く感じる。外の風景が、まるで部屋の壁一面のスペースに描かれた巨大な屏《びよう》風《ぶ》絵《え》であるかのように、部屋の装飾としてすっぽりと取り込まれている。内庭は、山、川、滝、林などのおりなす山水風景を圧縮して、戸を開いて広がる視界の枠組みいっぱいにきちんとおさまっている。こうした、箱庭的な物の作りをよくする日本人のことを「縮み志向」だと言った韓国人の学者がいたが、私にはそうは思えない。庭について言えば、明らかに、自然を身近に引き寄せ、風景そのままに眺めていたいという心持ちゆえのコンパクト化に違いないと思える。  下町の小さな路地に面して立ち並ぶ家々の玄関前には、花ものや葉ものを植えた鉢がズラリと並んでいる。部屋の中にまで盆栽を飾る、いけ花を飾る。いずれも庭への心持ちに通じるものではないだろうか。  日本では、敷地にゆとりがあれば、眺めるための庭を家の裏手に作ることが多い。韓国では、家の前に木も何も植えない広場のような空間を設け、その前に大門を設けるのが上層の一般的な住いの配置だった。儀式用の庭のなごりをひいているのかも知れないが、日本の農村の旧家の配置に似ているとも言える。  オンドルの部屋は熱の効果を高めるために狭くて窓のないのが普通だ。あったにしても、先に述べたように、高くて小さいので、外部を眺めることはほとんどできない。そのため、韓国式の部屋では外部とはまったく別の世界を構成することになる。部屋の飾りにはことのほか力を入れ、調度品も立派で大きなものが好まれる。また、乾燥した部屋に植物を飾ることもない。  日本では考えられないことに違いないが、一昔前の韓国では、布団は重要な部屋の飾りものでもあった。したがって、韓国の布団はきわめて派手な色彩とデザインのカバーに覆われている。高級であればあるほど鮮やかなものが普通だ。元来、押入れがなかったせいもあって、布団はたたんで部屋の奥の壁の真ん中にデンと積んでおいたものだ。そうして人に見せるものだから、韓国の布団は表側を外に出してたたむ。日本のたたみ方とは逆である。部屋に通された客は、まず最初に正面の布団が目に入ることになる。布団はその家の格を示す象徴であり、あるいは床の間に生けられた花に相当する、部屋を明るくしてくれる飾りものだったのである。それが最近では、洋服ダンスとセットになった布団ダンスが作られ、そこに入れるようになっている。そのため、部屋の顔がいまではタンスとなった。  住環境には気候の違いが最も大きく作用するだろうが、日本の冬もけっこう寒く、日本海側や東北ではなおのことである。弥《や》生《よい》時代のオンドルの跡が北九州で発掘されているが、ついにオンドルが日本に根づくことはなかった。韓半島から伝わりながらも、沖縄や九州はともかく、あれだけ寒い地方にすらオンドルが普及することのなかった日本。やはり、韓国は北方文化の影響をより強く、日本は南方文化の影響をより強く受け、それぞれの住生活の発達をみた、単なる合理性だけで文化が根づくことはなかったのだと、そう言うべきなのだろうか。  でも、いまや、こんなふうにも思うのだ。湿気の多い日本にはオンドルが合っていて、湿気の少ない韓国にはコタツが合っている。地域によって、たとえば暖かい韓半島南部ではコタツを、日本の寒い東北や日本海側ではオンドルをと、お互いに取り入れ合うこともできるのではないだろうかと。 弱さの日本語、強さの韓国語 覚えやすく上達しにくい日本語と韓国語の間がら  私は小人数を対象に、韓国人に日本語を、日本人に韓国語を教えている。日本語と韓国語は文法も語順もほとんど同じだから、その点では、日本人にとっての韓国語、韓国人にとっての日本語は、それぞれ最も学習が容易な外国語だと言えるだろう。実際、韓国人が日本語を勉強しはじめると、他の外国人のような苦労をすることなく、誰でもが順調に進む。また、日本人で韓国語を勉強しはじめた多くの人が、「外国語の勉強がこんなに楽で面白いものとは思わなかった」という感想をもつようになる。中国語の影響もあって近似する発音の単語が多いから、ある程度進んでくると、とくに教えられなくとも、簡単な音韻法則のあてはめで理解できる単語もたくさんある。  このように、多くの共通性を手がかりに力を伸ばしてゆけるところに、日韓の間での言葉の勉強の面白さがある。日韓はとくに、古代と近代にたくさんの言葉の交流があった間がら、言語年代学の方からは、数千年を溯《さかのぼ》ると同じ言語になるともいわれる。  日韓両国語はいわばとても相性がいいわけだが、一方、言葉を支える発想となるとかなり大きな違いがある。そのため、お互いに急速に上達するものの、それで安心していると、とたんに進歩が遅くなる。そして、「どうも日本人(韓国人)というのはわからない」と首を傾げることにもなってしまう。そうしたケースがとても多い。  日韓両国人の発想の違いにはいろいろあるだろうが、言葉にあらわれている面で言えば、日本語では頻繁に使われる「受け身形」が韓国語ではほとんど使われないというところで最も大きいように思う。たとえば、「あなたにそう思われると私はつらい」という言い方は韓国語にはない。韓国語ならば、「あなたが私のことをそう思うと私はつらい」と使う。同様に、「あなたにそう言われると嬉《うれ》しい」は「あなたが私のことをそう言うことは嬉しい」となる。  韓国語では、いくつかの単語に受け身形があるにせよ、ほとんどの動詞が文法的に受け身形をつくることをしない。日本語がほとんどの動詞で受け身形をつくることができるのとは大きな違いである。  能動態を使うと行動の主体が相手にいき、受け身形を使うと行動の主体は自分にくる。この違いは単に文法的な違い、つまり語法の形式的な違いであって、伝えたい意味にそれほどの違いはない。意味のコミュニケーションとしての言語に限って言えばとくに問題はない。しかし、この形式の違いはそれを支える発想の違いに大きく基づいている。 「コーヒーを飲まれた」と言う日本語の印象  私の小さな語学教室では、韓国人の生徒たちとよく次のような実験をして楽しんでいる。  たとえば私が日本語で、「李さんに私のコーヒーを飲まれてしまった」とあなたに訴えた場合、あなたはどのような印象をもつか、という質問をしてみる。 「よく考えてみて下さい、あなたは私と李さんそれぞれにどんな印象をもちますか?」  こう聞いてみると、「私」が「かわいそうな感じがする」と同情を示す一方、李さんのイメージはほとんど浮かんでこないと言う。そして、弱々しい「私」の味方をしたくなると言う。  そこで次にやはり日本語で、韓国語一般の言い方のように「李さんが私のコーヒーを飲んでしまった」と表現してみる。そして、 「この場合ではどう感じますか?」  と聞いてみる。すると、「李さんが悪いという印象が浮かぶ」、そして「李さんはちょっと気をつけなくてはならない人だ」という気持ちになると言う。そこでは「私」の印象はきわめて薄いものとなっている。  韓国人にとって、こうした日本語の受け身形の言い方からは、「自分がいかに弱いかということを相手に伝え、相手に助けを求めようとしている」像が浮かんでくる。そうした弱々しい存在に対しては、こちらの心にゆとりをもつことができるから、安心して近づいてゆくことができる。しかし一方では、そんな弱々しい人物とつきあっている自分が情けないとも思えてしまう。そして、ともすれば、そういう弱々しい人物から自分を区別しようと、切り捨てたり無視したりすることにもなってしまう。  ここには、日本人と韓国人との発想の違いがよく示されているように思う。  韓国人の場合、弱い自分を見せて惨めな気持ちになりたくないという気持ちが日本人より数段強い。そこで、自分が「〜された」というような、行為の責任が弱い自分にくるような言い方をまずすることがないのではないだろうか。 日本語特有の「〜させられた」「〜してもらう」  受け身形がさらに使役の受け身となると、韓国人には言葉のニュアンスを理解することがとても難しくなってしまう。たとえば、私も日本の大学生時代にこんな体験をした。  あるとき、知り合いの日本人学生が図書館で難解な哲学書を読んでいるのを見つけた。私は一瞬「すごい」と思ってあせり、「ずい分難しそうな本を読んでいますね」と声をかけた。するとその学生は、苦笑いをしながら「先生に読まされてね、難しくてよくわからないんだけど」と言ったのだった。そのときの私の印象は、「ああ、よかった」というものだった。「よかった」というのは、私が差をつけられているわけではないんだな、という意味である。  こんな場合、韓国人ならば「難しい本だけど先生が私に読ませたから参考になると思って」と言うに違いない。こう言われたならば、私は少なからずコンプレックスを感じたことだろう。つまり、前者の言い方ならば、「この人の力はたいしたことがない」と感じられるが、後者の言い方だと何か「差をつけられた」と感じられるのである。「読む主体」の弱さと強さゆえのことである。  日本人は一般的に、相手との格差が生じて距離ができてしまうことを恐れる。また、他者との差を目立たせることによって仲間はずれとなることも多い。しかし韓国人では、相手と格差をつけることで上下関係がつくられ、競争心が刺激される。また、自分よりよく出来る人が友だちにいることが自慢ともなる。力のある者とつきあっていることはそれなりに力があるからだ、とみなされることにもなる。  また、やはり私の日本語が十分でなかったころ、日本人の友だちから「いや、ちょっと買わされちゃったものなんだけど、よかったらどうぞ」と音楽テープをもらったときのこと。私の好きなものだったので嬉しかったのはもちろんだったが、売りつけられてつい欲しくもないものを買ってしまった人の弱々しさが感じられて、何か不思議な気持ちになったものだった。「欲しくないのに買ってやった」と言うのが最も韓国人らしい表現である。前者では巧みな商売をした者が立派に感じられ、後者では買った者の方が立派に感じられる。そんなふうに感じられたものだった。  また、韓国語には「〜してもらう」という言い方はない。たとえば、「世話をしてもらう」は「世話をもらう」というようになる。「もらう」ものが「〜して」というように動詞化されないのである。したがって、「あの人に〜してもらう」ではなく「あの人が〜してくれる」が一般的に使用される。  日本語にそれほど上達していない韓国人には、「会社を辞めてもらいたい」「家を出てもらいたい」と怒っても、どこか弱々しく感じられて、ほんとうに怒っているようには聞こえにくいものだ。「辞めてくれ」「出てくれ」という強い意思表示とは違って、「辞めてくれないと自分が困るから」と相手にお願いしているように聞こえてしまうのだ。日本人自身はこの二つの使い分けをそれほど意識してはいないようだが、やはり底の方では無意識の使い分けがあるように思える。「もらう」は受ける自分が、「くれる」は与える相手がテーマとなっている。  日本語は韓国語と比較すると、どうも弱々しい自己の表現に特徴があると感じられて仕方がない。自分の弱さを訴えることによって相手の中に入りこもうとする。弱いからこそ仲間に入れてあげようとする。そんな日本人の性格が言葉遣いによく表されているように思う。韓国語では強い自己の表現が特徴的である。弱い自分を見せることは負けであり、弱い人とつきあっていると自分も弱い人とみなされてしまう。そうなると信用まで失ってしまいかねない。  しかし、これらのことはあくまで発想の問題であり、ほんとうにどちらが弱い性格なのかどちらが強い性格なのかは、おのずから別の問題であることは言うまでもない。 韓国的なサービスとは何か 感覚に直接うったえる韓国の伝統的なサービス  韓国では第三次産業、つまりサービス業、小売業、娯楽、教養、医療などの産業の占める割合が、就労人口比でもGNP比でもすでに過半数を占めている。経済の急成長は韓国にも、欧米や日本のように各種サービスを主要とする先進国型産業構成の社会をもたらした。しかし、そのサービスのなかみとなると、いまだ旧伝統社会の価値観の延長上にあると言うしかない。そうした新旧のアンバランスこそ、韓国社会の現在を最も特徴づけるものであるように思う。  韓国で客人に対する心をこめたもてなしと言えば、なんと言っても、食器にうず高く盛られた料理を「食卓の脚が崩れるほど」(韓国的な慣用句)大量に所狭しと並べることにつきる。「食べきれないほど」ではなく「食べきれない」料理をもってのもてなし。それを客人が残す。それだけのもてなしをしてこそ、客人を大切にした奉仕、サービスと言えるのである。こうした料理を中心に、どれだけ絢《けん》爛《らん》かつ豪華な雰囲気で場をもりたてることができるかが、高度なサービスの要点となる。  ようするに、目、耳、鼻の直接的な感覚へストレートにうったえることのできる派手やかさの度合いが、そのままサービスのランクを決定する。いかに感覚的な奢《しや》侈《し》を構成することができるか——それが韓国伝統社会におけるサービスの中心的な課題であった。  そして現代韓国の商業的なサービス観も、ほとんどこうした伝統的なサービス観の延長上にある。したがって、宴会やパーティーなど、お祭的なサービスを要するイベントでは、まさに水を得た魚のごとく、韓国的なサービスが存分にふるまわれる。  最近私は、たまたまそうした韓国的な奢侈過多ともいえるサービスを受ける機会を得て、いまさらながら韓国人を意識させられ、また少々考えさせられることにもなった。 派手やかさと賑《にぎ》やかさに終始した宴会  一行はある業界の日本ビジネスマンたち数十名。韓国に合弁会社をもつ某著名企業が主催するソウルへの研修旅行であった。私の参加名目は研修時の講演者だったが、今回はこれまでになく豪勢な企画を盛り込んだとのこと、一行と行動を共にしてもよいというわけで、興味津《しん》々《しん》で同行させていただいた。  韓国一流の料亭へ繰り出したときのこと。派手な色彩の屏《びよう》風《ぶ》の張り巡らされた広い椅《い》子《す》席の宴会場へ入る。と、まるで色彩の競い合いをしているかのように、色とりどりの華やかなチマチョゴリをまとったコンパニオン数十人の出迎えである。なんという原色の氾《はん》濫《らん》、日本の宴会ではとても体験することができない。目に痛いほどの色、色、色の強烈な刺激の乱舞である。またたくまに日常感覚が消し飛ぶ。  そしてテーブルの上の豪華な料理。食卓の脚が崩れそうとは、まさしくこのことを言うのだと実感せずにはいられない。何品となく大きな皿に山盛りに盛られた料理がビッシリと広いテーブルを埋め、どこにもすき間を見つけることができない。日本の常識で言えば、参加者数十人に対して三倍の分量はあるだろうか。二百人いても果たして食べきれるかどうかわからない圧倒的なボリュームである。  どれもこれも、ほとんど食べたことのない第一級の宮廷料理だったのだが、私は見ただけでお腹《なか》がいっぱいになってしまった。実際、一箸《はし》二箸つまんだものの、それ以上は入らない。美《お》味《い》しいのだが入らないのである。他の人たちを見ても、みんな目を丸くして驚きの表情を隠さない。それぞれ美人のコンパニオンのサービスを受けてはいるが、みなさん軽い昼食しかとっていないのに、熱心に食べている人は少ない。確かに、これだけ巨大で総合的な豊《ほう》饒《じよう》さを前にしては、日本の料亭での宴会のように、食器への興味も、一品一品の料理への関心もまるで起こることがない。ただただ、その威容に圧倒されるだけだ。  やがてにぎにぎしく民族舞踊と民謡の余興がはじまった。鉦《しよう》や鼓《つづみ》を打ち鳴らしての歌と踊りで真横の人の話も聞こえない。これで会席は一気に盛り上がり、艶《あで》やかなコンパニオンたちが会席を所狭しと立ち回り、お酒のピッチもぐんぐん上がっていく。もはや料理はほとんどそっちのけの状態。そのままの雰囲気とペースで宴会が続いた。  最初から最後まで、目も耳も休む暇のない、盛大な賑《にぎ》やかさに終始した宴会だった。が、最初にあれだけ人目をひいた料理は、もはや誰に気をかけられることもなく、多くが手つかずのまま寂しくテーブル上に残っていた。 文字どおりの皇帝待遇  この四泊五日のソウル旅行では、すべての手配を韓国側にまかせて、いわゆる韓国的なサービスを実体験してみることが研修の狙《ねら》いの一つでもあったようだ。そのため、ホテルの客室にはじまり、ウェルカム・パーティーから、最後の夜の漢江に浮かべた客船での洋上パーティーに至るまで、すべてのサービスの主調は「派手、豪華、賑やか」で一貫するものだった。  参加のみなさんは「たまにはこういう贅《ぜい》沢《たく》もいい」とご満悦だったし、それは私にしても同じことだったが、「韓国も相変わらずだなあ」の思いとともに、少なからぬ憂いを感ずる体験もこれまた多かった。  ソウルで私たちが受けたサービスは、韓国的に言えば「皇帝待遇」である。日本ならば「大尽待遇」となるのかもしれないが、その言わんとするところは大いに異なっている。日本で「お金持ち=お大尽」と言えば「庶民で成功した上層の者」というイメージだが、韓国では旧社会の貴族身分としての両《ヤン》班《バン》のイメージである。したがって、韓国で目指される最高のサービスもまた、かつての宮廷で、任地の邸宅で、華麗なる貴族たちが催した、庶民には真《ま》似《ね》ることのできない、きらびやかに彩られた大規模な贅沢さである。だからこそ、文字どおりの「皇帝待遇」なのである。  サービスの狙《ねら》いは確かに一つは過剰性の演出にある。その場合でも、単に感覚的な過剰性に終始すれば、よいサービスと言えるわけではない。奉仕をする側の態度やふるまい、またその気配りや便宜の計らいの過剰性が、一定の日常感覚を越えたところで人々に心地よさを与えるものとしてセットされていなくてはならない。しかし韓国では、そうした点でのサービスがほとんど育っていない。  先に述べた宴会でも、あでやかに着飾ったコンパニオンたちは、卓上の盛り皿から料理を箸《はし》で直接つまむや、そのまま会席の間を走るようにして運んでは、ポンと取り皿に置いてゆくのである。その間、つまんだ料理からは床にダラダラと汁がしたたり落ちているのだが、一向にかまう様子はない。肩を揉《も》んでくれたり、直接箸で口に料理を運んでくれたりという、日本にはない伝統的なサービスは残っているが、その他ではほとんど日常生活をそのまま地でいっているに過ぎない。 相手しだいで差をつけるサービス 「皇帝待遇」とは、別な面では身分の高い者への奉仕でもある。そこで、相手しだいでサービスに違いが出ることにもなる。タクシーに乗って職業を聞かれ、商店主と答えたところ、運転手が突然に横柄な態度をとったという体験から、次に外交官だと言ってみたところ、相手はとたんに最高級の言葉遣いでペコペコしだしたと語ってくれた人がいた。それは韓国での常識。私も旅行の最中に似たような体験をしている。  ホテルのフロントで外貨の両替を頼み、受け取りを要求したところ、いかにも面倒くさそうな顔をして「何のために必要なのか」と言い、事務の手を休めようともしない。そこへ白人がやって来て横合いから両替を頼むと、すぐさま立ち上がって処理をし、言われもしないのに受け取りを書いて渡すのである。白人コンプレックスもいいところなのだ。  観光バスのガイドは、一行の日本人たちには丁寧な態度をとっているのだが、同じ客であっても韓国人の私に対しては実に冷たい。ある店から出ると突然の雨、遅れて出た私が傘を探していると、一行の一人が「あ、この傘をさしたらいいですよ」と、どこからか傘を見つけて渡してくれた。そのとき、バスガイドはその傘を私の手からひったくるや、「これは私のよ、なんで人の傘をとるのよ」と、睨《にら》みつけるような目つきで私に怒鳴ったものである。  買物に行ってもそうだった。洋品店で「これ下さい」と何べん言っても、店員たちは興に乗ったおしゃべりを止めることがなく、こちらを見ようともしない。そこへ、ミンクのコートに身を包んだ貴婦人風の女性がやって来て声をかけるや、ピタッと話を止め、いそいそと彼女の方へと向かうのだった。そのときの私はジーパンにセーターの姿だった。  このように、相手によってサービスに差をつけるのは、旧身分社会の意識がそのまま延長しているからである。お金のある外国人、社会的な身分の高い人には懇切なサービスをおしむことがないが、貧相な姿の者や同国人の庶民には、ほとんど日常的な感情丸出しで、ときに侮《ぶ》蔑《べつ》的に接する。韓国のサービス業はいまだこうしたレベルにある。 ハレの場の象徴としてのネクタイ ソウルビジネス街の色鮮やかなネクタイ  九二年春、久しぶりにソウルの街を歩いた。ほぼ三年ぶりに見る母国の首都だったが、人々の話にたがわず、変《へん》貌《ぼう》のスピードには凄《すさ》まじいものを感じさせられた。街の雑踏はあい変わらずの活気に満ちているが、その表情は、ようやく消費社会の波間を泳ぎまわる快感を知った者たちの賑《にぎ》やかな解放感を語っている。  女たちの遠慮なく着飾った街着姿は日本よりいっそうの華やかさを感じさせるが、男たちの服装はいまだそれほどの自由さを感じさせてはいない。スーツでなければほとんどがジャンパーを羽織ったスタイルで、カーディガンやセーターの何気ないおしゃれ姿はほとんど見ることができない。  ビジネス街に至ると、やはり日本同様の暗色系スーツ中心の「ドブネズミ・ルック」がほとんど。それでも、大柄のストライプ入りのものや明色系スーツもけっこう目につき、全体としては日本のビジネスマンより派手めではある。しかし、やたらと気になるのがネクタイである。ネクタイだけがポンと目立つ。さまざまな色の入った鮮やかな柄模様のネクタイ、日本ならば民間放送テレビのニュース・キャスターたちなどによく見られる、色感のボリューム豊かなものの系統に属する。  歩き疲れてビジネス街の喫茶店で休んでいると、パーッと色とりどりのネクタイがあちこちから目に飛び込んでくる。隣りの席では六十代の経営者ふうの老紳士を中心に、数人の三十代かっこうのビジネスマンたちが何か話しこんでいる。中心のご老人のスーツは灰色だが、おそらくは英国製のウーステッドか、ともかくも上等な品。そしてネクタイは小さな真紅の花びらをたくさん散りばめた、目に鮮やかな柄模様。若いビジネスマンたちはみな紺色系のダークスーツに、流行の若葉模様をさまざまにアレンジした、明度の高い緑色が基調の柄ネクタイを飾っている。いずれも東京の大手町などではまず見ることのできない、日本的な感覚からすればかなり大胆なものだ。  商店街を歩きながらネクタイ専門店をあちこちとのぞいて見たが、やはりどこもが明るい柄模様のものを店頭に並べている。外貨の両替をしに銀行へ寄ってみると、銀行マンたちのネクタイにも色彩の豊かさがゆきわたっていることがすぐにわかる。日本では、地味さが洋服を着て歩いていると言われるほどに控えめな銀行マンたちの服装を見慣れているだけに、カウンターの近くで札束を数えている銀行マンの姿にカジノのディーラーを連想してしまった。また、若いころに通ったなつかしい韓国の教会へ入ってみると、たまたま説教の最中だったが、その牧師はベージュ色のスーツに華やかなネクタイを締めて講壇から人々に語りかけていた。 日本では着られない韓国で似合う服  繁華街へ出て、女たちの艶《あで》やかな装いの流れに乗って歩いていると、少し派手ぎみかなと思いつつ日本から着てきたブラウスが、みるみるうちに、まるで日焼けして色《いろ》褪《あ》せでもしたかのように見えてくる。気分がしだいに落ち込み、力が萎《な》えていくような感覚に襲われた私は、いたたまれずに洋品店に飛び込むや、ほとんど衝動的に、彼女たちに負けじと三原色をふんだんに使った大柄な花模様のブラウスを買っていた。  翌日それを着て街を歩く私は実にさっそうとしていた。ショッピングで店に入っても、どこかしら店員たちの対応も昨日とは違っている。確かに韓国では、街で地味な服装をしていれば、それは惨めな、できるだけ相手をしたくない人であるのに違いない。また服装の地味さは「ケチな人」の印象にもつながっている。  この韓国の街によく似合ったブラウスが日本ではどうもしっくりとこない。一度着て出かけたが、一人だけ浮いた感じでソウルでとは逆のいたたまれなさを感じてしまい、二度と着なくなってしまった。また、東京で例の派手なネクタイをした明らかに韓国人とわかる男性と道で出会うと、やはりふさわしからぬ印象をぬぐえない。そう言えば、ある韓国人ビジネスマンは、日本へ行くときにはネクタイを二本用意して、成田に着くとこの地味なネクタイを締め、ソウルに着くとこの赤いネクタイをするのだと、私に見せてくれたことがあった。  なぜ日本のビジネスマンはネクタイに華やかさを求めないのか。遊び着では韓国人男性には見られない目立った服装が珍しくないのに、である。東京へ帰ってから数人の日本人ビジネスマンにこの疑問をぶつけてみた。 「遊ぶときにはいいけど、派手なネクタイをしてると落ち着かなくて仕事に腰が据わらないでしょう」  だいたいがこんな答。そこで私は、韓国人的な発想からいちいちこう応戦してみた。 「でも、明るいネクタイを締めて気分が晴れやかになれば、心身ともに活き活きとしてきて働きたい気持ちになりませんか」  仕事と遊びを混同したくない。遊び半分で仕事をやっていると思われてしまう、仕事用の服装のなかでのおしゃれと遊びのときのおしゃれとは違う、など、両者のけじめを強調する人が多かった。 仕事の場はハレの場か?  民族の色彩感覚はその土地の自然に大きく依拠していると言われるが、日本と韓国は地理的にも近く、同じ温帯に属していて気候風土にそれほど大きな違いはない。ただ、同じ湿潤アジアとはいっても、韓国は日本ほど雨が多くないし湿気も少ない。そのため、晴れた日の空気はカラカラと乾いていて、真夏の気温は日本より高いが、日陰に入るとスッと汗のひく涼しさを感じることができる。そのせいだろう、日本では晴れた日でもどこかぼんやりとしているし、遠距離の景色は霞《かすみ》がかかってはっきりと見通せないが、韓国の晴天時には風景はくっきりとした輪郭をもって目に映り、遠くの山々も鮮明に見渡すことができる。日本よりは乾燥した気候のため、雨が降ると爽《さわ》やかな気分になる。雨の降る日が好きな韓国人は実に多い。南の国ほどではないにしても、韓国の太陽の陽《ひ》射《ざ》しの下では、鮮やかな色がよく似合うように思う。  色彩感覚の違いについては、このように湿気の多い日本の薄墨色の自然と、湿気の少ない韓国の原色に近い自然との違いとして表すこともできる。それにしても、ヨーロッパとアジア、中東とアジアのそれから比べれば、ほとんど同質の気候風土と言ってよいはずだ。そこで、地味好みと思える日本人の文化意識と派手好みと思える韓国人の文化意識、というような考え方をしてみる。  そうした点からネクタイのことを考えてみると、おおむね三つほどの理由を見出すことができるように思う。一つは、華やかな貴族文化が古代以来近世まで持続していて、その豊かな色彩をふんだんに使った生活がずっと庶民の憧《あこが》れであった歴史をもつ韓国と、貴族文化が古代に絶え、以後は節操を旨とする武家の文化の主導で近世まで流れた歴史を持つ日本との違い。二つには、韓国人に特有な、鮮烈な若さ、瑞《みず》々《みず》しさをよしとする価値観に対する、日本人のワビ的・サビ的な枯れた味を知る大人の熟達をよしとする価値観。そして三つには、農耕民族に特有なハレ(晴=非日常の世界)とケ(褻=日常の世界)の循環にかかわる価値観の違いである。  前二者については指摘する人も多いが、ハレとケの循環についての日韓の違いは言及されることが少なく、意外に見落とされているように思う。日本人にとってのハレとはお祭に象徴される特別のおめでたい日であり、あるいは夢がかなってようやく乗ることのできた、文字通りの晴れの舞台である。現在の消費社会はハレっぱなしの世界となったが、気持ちのなかではいまでもきちんと区別されていて、家庭生活や仕事の場はあくまでケと意識されていると思う。しかし韓国では、少なくとも都市生活に関しては、どうやら家庭を一歩出た社会的な場はすべてハレの場なのである。だから仕事の場もハレの場である。そう意識されている。  韓国の仕事の場は日本のように決して地味で質素な場ではない。服装をはじめ身につけるものはできるだけ高級なものをと選ぶ。仕事に着るから安いものでよいとは思わない。そして、色彩が豊かで派手なものほど高級感覚をよびおこす。色彩不足はそのまま貧相なイメージにつながる。会社のなかではこの傾向がとくに強い。韓国人にとっては、仕事の場こそハレの場だからである。家の外の社会的な場は、なによりも強い自己アピールで勝負する晴れの舞台である。世界共通のダークスーツに身を包みながらも、彼らのネクタイこそが、そこがハレの場であることを象徴している。 ロスの日本人教会・韓国人教会 平日はオフィス、日曜日は教会  アメリカの韓国人移民の抱える問題について調べる必要があって、夏休みを利用してロスアンゼルスに三カ月ほど滞在することになった。短期滞在のため、連日レンタカーでダウンタウンをはじめとする韓国人移民地区を飛びまわっては取材し、各種団体、図書館、研究所をめぐっては資料を調べる。その一方で、ひっきりなしに電話、FAX、コピー、ワープロなどを利用することになる。特定の研究所を利用しているわけではないので、とくにOA機器の使用にはことのほか手こずる。  仕事が思うようにすすまないので、日本を出るときに、日本人の友人から、「いろいろと便宜をはかってくれるはずです」と電話のメモをもらってあった日本人の会社に連絡をとった。親切にも「何でも使っていいですよ」とのこと。私が宿としている郊外の家から四〇分かかる距離だったが、さっそくその言葉に甘えて車を走らせた。  その家庭教師斡《あつ》旋《せん》業《ぎよう》の会社は社員五人、オフィスの広さは十坪ほどのワンフロアーで、事務室と応接室の間をついたてで仕切っている。社員の皆さんが忙しく仕事をするなか、社長さんはその日一日、仕事の手を休めて私の話の相手をして下さった。滞米日本人や韓国人のこと、アメリカの不景気や犯罪のことなどを話しているうちに終業時間が来てしまった。「明日から自由に電話でもコピーでも使って下さってけっこうです」と言われて帰ろうと立ち上がると、「日曜日も時間があったら来て下さい」と言う。 「えー、日曜日もお仕事なんですか?」 「そうです、日曜日が本業なんです。日曜日はここは教会になるんです。私は牧師をやっていまして、アメリカへ来て一五年ですが、この仕事と教会をやるようになってから十年になります」 小さな日本人教会でのお説教  ここで礼拝を? 十年間も? なんだか信じられない思いである。 「牧師さんも他の仕事をするんですか……信者さんは何人ぐらいですか?」 「このへんの韓国人の教会は裕福な教会が多いんですが、日本人の教会はだいたいが貧乏でして、他の仕事をしないと食べていけませんね。毎週四、五〇人は集まるでしょうか」  そう言えば、部屋の隅には折りたたみのイスがたくさん積んである。しかし、このスペースで五〇人とすれば、ギチギチに詰め込まなくてはならないだろう。日本ではこうした形の教会をいくつも見てきているので、その点での驚きはなかったが、ここはなにしろクリスチャンの国アメリカである。やはり、クリスチャン人口が総人口の一パーセントという、先進国でも稀《け》有《う》な日本の状況が、ここでもそのまま現れているのだろうか。  これからお世話になることでもあるし、またアメリカに滞在する日本人の礼拝の様子も見てみたいと思い、次の日曜日に出かけて行った。事務机や応接室のソファーを取り払って形づくられた礼拝堂のスペースいっぱいに人が埋まっている。全体の四割ほどが白人で、想像していなかっただけに驚いた。みな明るい表情で、賛美歌を歌ったりしながら礼拝が始まった。先日の社長さんが牧師となって壇上に立ち、英語と日本語を交えてのお説教である。私たちの神さまはどれほど私たちを愛して下さっているのか、聖書のあちこちの章句が引かれ、またみんなでそれを唱和する。 「そのように、私たちも他者を愛さなくてはなりません。他者を愛することは他者を許すことであり、他者を許すことは他者の過ちを忘れてあげることであります……」  牧師さんの説教の間、みんな懸命にメモをとっている。私も心にとまる言葉をメモにとりながら、他者を愛することの意味の深さを静かに考えさせられていた。 「許しても忘れてはいけない」という韓国人牧師  ロス地域を車でざっとめぐってみただけでも、大きく特異な形の韓国人の教会がやたらに目につく。四〇〇軒ほどあるというから、目立つのは当然なのだろう。この五年間で二倍に増えたそうである。韓国のキリスト教牧師たちの多くは、韓国こそが神の恵みを受けており、韓国からキリスト教を世界に広めなくてはならないのだと言う。そこで力のある教会は次々と海外へ支教会を出そうとする。その第一の国がアメリカなのだ。  アメリカに来て一七年になるという韓国人に取材を申し込んで、日曜日にその人の所属する教会で会うことになった。高速道路で一時間以上走ったところにある教会の駐車場は、車が五百台以上は入れるだろうか、まるで行楽施設の駐車場のように広い。ベンツやらキャディラックやらの高級車が軒並み止まっている。マツダのレンタカーを利用している私は、運転もしやすく性能もよくて気に入っていたのだが、この駐車場の中では一点のみすぼらしさを感じないではいられなかった。  教会堂の全体は丸みを帯びているのだが、ある部分は屋根がぐっと下の方までおりていて、またある部分は四角く張り出していて、という具合に、不思議なバランスを見せる大きな建物だ。入口に立つと中から賛美歌が聞こえてきたが、天井からの反響音としてワンテンポ遅れてくる歌声から、天井の高さがどれほどのものかが想像される。中に入ってみると、もはや自分の所在がわからなくなるほどの巨大な空間に包まれる。正面の大きく高い講壇の上、牧師の説教台の後ろに一〇〇人ほどの聖歌隊が並び、その左右に管弦楽団が配されている。信者たちは三面からそこに向かって座るようになっている。めいっぱい入っているように思えたが、案内してくれる人に聞いてみると、詰めれば三〇〇〇人は座れるが、いまは二〇〇〇人ほどが入っているとのことだ。この教会は韓国人の教会のなかでは大きい方で、三部に分けて礼拝が行なわれるという。白人も黒人もまったく見られないし、韓国人以外の外国人はどうやらいないようである。聞くと、やはりその通りで、英語の礼拝の時間もあるが、それは韓国人二世や三世のためのものだと説明してくれた。  礼拝が始まり、一人の男性信者が前に出て代表祈《き》祷《とう》が行なわれる。 「神さま、私たちは罪あるままに、孤独の気持ちのままに神さまの御前に参りました」  歌うような、切実な訴えを絞り出すような声で祈るのである。その声はひとたび天井に行ってから再び戻ってきて人々の胸を震わせる。ドームに満ちた空気の隅々までビーンと響き渡る振動は、聖なるものに触れたかのような感動を呼び起こし、涙がボロボロとこぼれ落ちてくる。祈祷が終わり、やがて管弦楽団による賛美歌の調べが会堂いっぱいに流れ始めると、感動は最高潮に達し、すすり泣きの声があちこちでこだまする。韓国にいたときとまったく同じ体験を久し振りにしながら、「これが韓国的というものなんだなあ」と、いまさらながら感じていた。理性的に考える余地を与えず、徹底して情に訴える大衆的なムード、それが何よりも好きなのが韓国人なのだ。  牧師の説教が始まる。 「イエスキリストは『私に従う者には福がある』とおっしゃっています。イエスに従えば受難がついて来ます、それを乗り越えると大きな福が与えられる、という意味ですね。わが民族は受難の歴史をもっています。にもかかわらず、それらをよく乗り越えて来ました。日帝治下では多くのクリスチャンの命が奪われました。私たちは彼らを許さなくてはなりませんが、それをけっして忘れてはなりません。そうした受難を乗り越えて、韓国は世界一キリスト教が興る国となっています。しかしそれに満足することなく、さらなる受難を越えて行かなくてはなりません。共産圏の国々、旧ソ連、中国、北朝鮮などにはわれわれが行かなければなりません。それが神さまが与えて下さった使命であります……」  世界一へと向かって走ろうとする韓国の教会で行なわれる典型的な説教である。心情から心情へという訴え、もちろんそれにメモをとる人はいない。私は先の日本人の教会でメモをとった「他者を許すことは他者の過ちを忘れてあげること」という言葉を思い出していた。それに対して、民族の受難を個人に重ね合わせ、「他者を許しても忘れてはいけない」と訴える韓国人牧師。「忘れたくない」という心情を「忘れよう」とする理性で乗り越えようとする意思がなぜ出てこないのか——。尊大な自己規定ゆえに日本人を許しきれない、悲しくも弱い韓国人の性《さが》を見せつけられることになって私の気分は重かった。  次は、ロス郊外にある小さな韓国人の教会の牧師の説教のなかでの言葉である。 「韓国の多くの教会は堕落している。聖霊への依頼心が強すぎて理性を失ってしまっている。ムーダン(シャーマン)の仮面をかぶっている教会が実に多く、キリスト教が韓国の社会を混乱させてしまっている」  こんな牧師は韓国人には珍しいが、ムーダンの仮面をかぶったクリスチャンという言葉に私も同感した。 プライド〓=高慢・誇り・自尊心をめぐって 逆境にあってこそ身仕舞をただす  ロス暴動後のロスアンゼルス韓国人社会では、彼ら移民のメディアなどを通して、「このような時だからこそ、身なりをきちんとしていなくてはならない」という呼びかけがしきりに行なわれている。「逆境にあって身仕舞をただす」と言えば、日本人にも通じる考え方かもしれない。しかし、その内実にはかなりの違いがあるように思う。  身の回りのことがかまえないほど困難な状態にあるとき、そうしたときでもなお、身繕いには品位を保ち、生活の乱れを他者に感じさせないようにする——。そうした倫理観は日本、韓国、中国などでは、貴族的というよりも、伝統的に一般人の間に強く、東洋の美徳と言われることも多い。ただ、この場合の「身なりをきちんとする」という表現は、韓国人ならば「豊かであること、十分な力があること」を示すが、日本人ならばおそらく、「平静さを保つ」といったところに力点を置いた訴えとなるのではないだろうか。たとえば、雲仙普賢岳噴火のさいの罹《り》災《さい》者《しや》たちへのインタビューをテレビで見ていても、とくに気張ることなく平静なよそおいをもって被害の状況を淡々と語る日本人の姿が印象深かった。このあたりの姿勢の示し方の違いは、それぞれのプライド表現のあり方に大きくかかわっているように思える。  韓国人が逆境にあってもなお「豊かさ」や「十分な力」のあることを示そうとするのは、ひとつには自分を「みじめに見られたくない」からである。「平静さを保つ」日本人の場合は、みじめに見られたくないという気持ちがあるにせよ、それはプラスもマイナスも含めて、他者に対する自分の特異性をきわ立たせることを、極力避けようとするところからのものだし、またそこには、他者に心配をかけまいとする意識が強く作用しているものと思われる。韓国人にとっての「みじめに見られたくない」という気持ちは、自分が下位に立ちたくないということであり、下位に立っていることは本人にそれだけ力のないことを示すものである。力のない者は社会的な有用価値が低く、場合によっては「相手にするに足らない」存在として見下され、さまざまな社会的な関係が絶たれてしまうことにもなりかねない。そこで、困難な状況にあるときには、ことさらに自分が豊かであることや十分な力があることを押し出そうとする傾向を強くはらむようになるのである。 他者に助けられる資格  こうした韓国人の姿勢は、日本人からは実質のともなわない空威張りと見えたり、「見《み》栄《え》っ張りの韓国人」という言い方がよくされることにもつながっている。しかし、そうした態度をとることが、韓国の社会生活のうえでは、かなり切実なものなのである。それはとくに、今回のロス暴動後のように、自らの置かれた状態が他者の援助を必要とする場合である。  力のある者が力のない者を援助することは、日本でも韓国でも倫理的に善であることに変わりはない。ただ、日本の場合では一方的な援助は相手の誇りを傷つけることになり、失礼なことでもあるから、相手の気持ちを察して「よろしかったら援助をさせていただけませんか」というように、助ける側の方が恐る恐る援助を申し出る、といった形が一般的である。韓国の場合ではそういう形はあまりなく、とにかく助けることは善だからと、単刀直入に「助けて差し上げます」という姿勢に出る場合が普通だ。また、助けられる側にも、力のある者が助けるのは当然だという考えがあるから、もちろん感謝はするものの、日本人のように「申し訳ない」といった気持ちの負担をそれほど感じることはない。  韓国では、他者を助けることは他者の上位に立つことを意味し、助け・助けられることで上下関係がきちっと決まってくる。しかし、他者に助けられたということは、韓国人にとっては「自分には他者に助けてもらえるほどの力がある」ことの証明である。だから、一方的な援助を受けても自尊心が傷ついてみじめな気持ちになることはない。他者に助けられた者は、助けてもしようがない者ではなく、助ける価値のある存在となるのである。そのため、助けてもらおうとする者は、懸命になって、いかに自分には力があるかを示そうとする。  韓国で離婚して日本に渡りホステスとなった者を多く知っているが、そのなかの一人とこんな話をしたことがある。  彼女は裁縫が上手で、日本でもホステスをやりながら、たまに縫物の仕事を請け負っている。彼女は離婚後、韓国でさまざまな仕事をしてきたが、何をやってもうまくいかずに苦労のしっぱなしだったという。そして、すでに三十歳を越えたいま、いつまでもホステスをやっているわけにもいかないし、将来がとても不安だと嘆くのである。いろいろと話をきいてみると、ことのほか料理が得意だという。そこで私は、「それなら日本で韓国料理を教えてみたらどうかしら、習いたいという人はけっこういると思うから、生徒を集めるには援助しますよ」と軽い気持ちで言ってみた。すると彼女は、それまでの落ち込んだ話しぶりから一転して、堂々と胸を張って話しはじめた。実は自分は韓国で料理学校の講師をしていた経験がある。生徒たちの人気も一番だったし、他の講師からも一目置かれていた、何々賞をとったことがある、人にはまねのできない秘《ひ》訣《けつ》を知っている、こんな特別料理を作ることができる……。  自分がどれほど料理作りに優れているかを延々とまくしたてる彼女もまた、自分にはいかに援助を受けられるに十分な力があるか、だから援助を受ける資格がある、ということを示そうとするのである。こういう姿勢は、韓国人として聞いていれば別段おかしなものではない。しかし、日本人的な感性で聞いていると、そんなに力があるなら他者の援助を受けることもないだろうに、援助してもらいたいならそんなに偉そうにしないで、もっと謙虚な態度に出るべきだと思えてしまう。そんなときには、日本の経済的・技術的な援助に対してとる韓国側の態度を「高慢」とみる日本人の気持ちがよくわかる。 異文化間のプライド表現  人の示すプライドというものは、ときにより高慢とも見《み》栄《え》とも映り、また誇りの質や自尊心の所在を知らされることにもなる。日本の「武士は食わねど高《たか》楊《よう》枝《じ》」という言葉は、ある場合には身分の高い者のプライドの表現であり、ある場合には庶民の側から上層の者たちの見栄を揶《や》揄《ゆ》した言葉であり、またある場合には自らの身分や地位に要求される振る舞いを戒めたものでもある。しかしこれを「両《ヤン》班《バン》(李朝期の支配階層)は食わねど高楊枝」とすれば、韓国では、誰もが当然に保つべき一般的なプライドの表現となってしまう。それは、日本では武士の生活が必ずしも人々の理想だったわけではないのに対して、韓国では両班の生活こそが人々の理想であったことにかかわっている。韓国ではいまだに、社会的・経済的な地位の高さが個人のプライドを大きく支えている。 「高慢であること、強い見栄を張ること」と「誇り高いこと、自尊心の高いこと」とは、プライドのあり方としては明らかに異質なものだが、表現しだいでは微妙なところで入れ替わってしまうものでもある。それだけに、異文化間でのプライドの表現にはストレートな通じ合いが困難な場合が多い。日韓の場合では、韓国人にとっては「日本人はプライドが低い」と見え、日本人にとっては「韓国人は高慢だ」と見えていることがとても多いように思う。  ある日韓合弁会社の日本人社員から、労働組合の専従者の給料を会社側に要求して出させている韓国人労働者について、「なんて誇りをもたない人たちなんでしょうか」という感想を聞いたことがある。それは費用出所の筋道としておかしいだけではなく、労働者としての自尊心・プライドを喪失した者の態度だと言うのである。  これは、日本や欧米諸国では当然の考え方だが、多くの韓国人にはまず労働者の誇りという発想がない。経営者であることは誇れるものの、労働者であることに何の誇りがもてようか、というのが一般的な韓国人の感じ方である。そこには、経営側から援助を受けることは労働者の自立と尊厳を失うことだという倫理はない。したがって、主観的にはプライドの問題とはまったく無関係に、従業員にとって必要な費用を会社が出すのは当然だと考えるのである。  異文化間でのプライドをめぐる表現の違いは、文化の違いであり相対的なものだとみなして、互いの思いやりによって了解し合うことが大切だというのは、確かにひとつの正論ではある。当面はその方法に努力するしかないにしても、どのようなプライド表現が未来的であるかということ、どのような形でそれぞれのプライドを表現することが世界の人々が関係しあうのにふさわしいかということが、もっと問題にされてよいように思う。その点から言えば、日本人は表立った表現を避けるためにプライドの所在がつかみ難く、韓国人に特有のプライド表現は、ロス暴動を教訓としてみてもわかるように、異文化の他者には強い反発を生じさせる傾向をはらむもののように思われる。  ㈽ 韓国の女、韓国の社会 なぜ韓国女性は美人なのか 美人への過激な執念  韓国には美人が多い、という説がある。  実際、韓国への出張から帰ってきた日本のビジネスマンから、「韓国の女の人には美人でスタイルのいい人が多いんですねえ」と言われることがちょくちょくある。その感心したような口ぶりからして、どうも韓国人である私への外交辞令だけとも思えない。確かに率直な印象であるようなのだ。  こうした旅行者のもたらす印象談から「韓国女性美人説」が広がっていったのだとすると、それはとてもよく理解できることのように思う。  若くて美人であること、しかも、頭のてっぺんからつま先に至るまで、よく整った外見美を表していること。それはどこの国の女にとっても願わしいことであるには違いない。が、その執念の強さで、韓国の女は一頭地を抜いていると思わずにはいられない。私はその過激なまでの執念の強さこそが、世に「韓国女性美人説」を生み出した最大の理由なのだと言いたい。  なぜ、わが韓国の女たちが、それほどに美人への執念が強いのかは後にお話するとして、ともかくもその執念たるや凄《すさ》まじいのである。  黒《くろ》山《や》羊《ぎ》のスープというのをご存知だろうか。美容、とくにシミ、ソバカスをとる上に大きな効果を発揮するということで、ソウルでは黒山羊を専門に売る店がたくさんある。これを漢方では一匹丸々を二日ほど煮込み、ドロドロのシチュー状のものにして飲むのである。ところが、ものすごく臭い。覚悟を決めて、目をつぶり鼻をつまんで一気に飲み干す。と、すぐに胃の底から激しい吐き気が突き上げてくる。それをグッと我慢し、吐き出してしまわないように、何遍も何遍もこらえなくてはならない。そして飲んだら最後、まる一日は身体中から立ち昇る悪臭が消えないから、とても人と会うことはできない。しかも、これを少なくとも半月ほど飲み続けなくてはならないのである。  六、七年前、私がいまだ飽くなき美人への執念に燃えていたころ、所用でソウルへ行った折に、この黒山羊のスープを、当時一匹分二〇万ウォン(四万円ほど)の大枚をはたいて買って来たことがある。知り合いの滞日韓国女性たちと一緒に、われらの執念に花を咲かそうというわけである。もちろん、みんな大喜び。仕事なんか休んじゃえということで、必死の一気飲みをやったものだった。  一口に美容と言っても、日本の女たちとは気迫が違うのである。黒山羊のスープが美容にいいと言うと興味をもつ日本の女性は多いが、この悪臭の話をすると途端に誰もがやる気をなくしてしまう。美人への道はまことに険しい。  また、前にも書いたことだが(『続スカートの風』三交社刊、のちに角川文庫化)、高《こう》麗《らい》人《にん》参《じん》を煎《せん》じて飲むと疲れがとれる。高麗人参が疲労回復にもたらす効果は大きいが、私の場合は顔にニキビが出てしまうので、ずっと飲まないようにしていた。ある時、どうしても疲れがとれないので、久しぶりに煎じて飲もうかと思ったが、やはりニキビのことが気になる。そこで、他の韓国の女たちはそんなときどうするだろうかと思って、私が教えている日本語教室に通う生徒たちに聞いてみた。すると、みんながみんな「飲むべきではない」と言う。 「死ぬかもしれないというわけでもなければ、当然飲まない方がいいですよ。だって先生も女でしょ?」  まさに、美容には決死の覚悟を、なのである。  美容に気をつけていると言いながら、一方では甘いケーキに盛んに手を出す日本の女たちと、明日の死よりも今日の楊《よう》貴《き》妃《ひ》をとすら腹を決めている韓国の女たちとでは、はじめから執念のあり方が違うのである。 韓国美人は美人であることをより強調する  執念の強さだけではない、自己表現の仕方がこれまた大きく違っているところにも、美人の問題はかかわってくる。  最近、仕事のことで、ある日本の情報産業の会社の社長秘書と会う機会があった。女性秘書である。相手が女性だと、どうも会ってみるまでどんなタイプなのかが気にかかる。その気分を正直に言うと、相手があまり美人だとこちらがみじめな気持ちになるが、そうでもなければ安心できる、ということなのだ。何につけてもどちらが上でどちらが下かを決めたがる韓国人の対抗的な性《さが》から、いまだにそんなところで自由になりきれない。  当日、事務所を訪れた彼女を迎え入れて、私はスーッと気が楽になった。「そうでもない」と思えたからだ。まったく、われながら実に他愛なくも現金なものだと思う。しかも、彼女がとても感じのいい女性だったことで、私の気分は一層楽になっていた。  早速ビジネスの話をはじめる。私は元気よく話をし、彼女の方も十分に気が乗っている様子。私はとてもいい調子になっている自分を感じ、その心地よさを味わいながら、話はスムースに進んでいった。  話が一段落し、すっかり打ち解けて談笑しばし、私は彼女の顔をなんとなく見やって、はっとしてしまった。なんと、よくよく見れば彼女は相当の美人ではないか。美人なのに、はじめのうちは美人と感じなかった。それはなぜなのか?  思い返してみれば、そんな体験はこれまでにも何回かあった。彼女たちがそうだったように、かの社長秘書もまた、自分の美しさを墨絵のような淡いモノトーンの世界にまぎれさせていた。ひとの目を引かないように、風景から際立たないように——彼女の化粧も服装も、また態度も、そんな生活の流儀を感じさせていた。  なぜ彼女はあれだけの美の財産を生かそうとしないのか。なぜその美しい顔をくっきりと浮かび上がらせ、艶《あで》やかな光で満たそうとしないのか。なぜ天から与えられた美の恵みを存分に味わっている者の颯《さつ》爽《そう》とした態度を見せないのか。韓国の女ならまずそうするのに、もったいないと、私は長い間、日本の美しい女たちを不思議に思っていた。  彼女は自分の美しさをよく知っているはずである。が、彼女の美は私との間に壁を作らない、それと意識させることのない美だった。そういう自分のふるまいが自然に身についている。きっと、私に限らず誰でもが、ことさらに彼女を美人と意識することなく、気楽な心で応対できるに違いないと思えた。  ここには、「韓国女性美人説」を大いに盛り立てる結果を生み出す、日本側の事情が見えている。そう、自己表現の仕方が正反対だからである。自分の優位さをより強調して表現し、他者との差別化を一層はっきりさせようとする韓国。自分の優位さが表立つことによって他者との関係のバランスが崩れることを恐れ、できる限り平常さを表現しようとする日本。  こうした自己表現の違いも、「韓国女性美人説」の背景にあるものの一つと言えるだろう。日本では美人は目立とうとしない者が多く、韓国では美人は目立とうとする者が多い。ゆえに、韓国には美人が目立つ……というように。 「派手さ」という美  日本の美人が目立とうとしないのは日本的な謙虚さの現れ、というよりは、そもそもが奥なる床しさに感じ入ることを喜びとする、日本人の感性のあり方からきているのではないだろうか。それに対して韓国人の感性は、より直接的にやってくる刺激の強さを喜びとする。  たとえば、韓国語で「おいしい」は「マシタ=味がある」と表現する。つまり、舌に感じる刺激の強さとか重量感が問題なのである。色については、日本人のような淡い中間色よりも目に鮮やかな原色を好む。したがって、両者の美的な感性もなかなか波長が合いにくい。  今年の春、私の姉が観光で日本へ来た時のことである。姉は「プレゼントよ」と言いながら、私の部屋に巨大な荷物を運び入れた。韓国製の布団だと言う。日本製の布団に負けないように、姉なりにセンスのよい高級品を選んだと自慢気である。  姉は私の部屋に入ってあちこちをざっと見回すと、いきなり文句を言い出した。 「ただでさえオールドミスなのに、あなたの部屋の中のものはみんな死んでるよ。もっと明るくしなくちゃね、おばんくさいよ」  そう言って、姉は大きな袋から布団を取り出すやベッドの上にパッと広げた。その瞬間、私は思わず「あっ」と声を上げてしまった。軽やかなふくらみに品質のよさを感じさせているその布団は、目に痛いような五つの原色で鮮やかに染め抜かれた、チマチョゴリ風の生地に包まれていたのである。この五原色は韓国で古くから、チマチョゴリの基本配色として使われてきたものだった。  あまりに強烈な色彩の放射だった。部屋の隅々まで五つの色の光が広がる。布団を背中にしていても部屋の中がキラキラと輝いているような気分になってしまう。私は、しばらくの間、身体の内側でいのちがぐんぐんと濃密さを増してゆくような感じがして、部屋中を跳ね回りたい衝動にかられていた。  私はこの数年間というもの、すっかり日本的な感覚の質に身をまかせることに慣れ親しんできたことをあらためて思った。服装から手持ちの小物類、部屋の装飾に至るまで、姉から見ればすべてが地味すぎるのである。いきいきと舞うことのない死んだ色なのである。  テレビの横にはいつも、韓国にいた時から好きだったいけ花をしつらえている。その花も、色とりどりの鮮やかさを隠すことなく飾った盛花から、いつしか、色の照り映えを柔らかに抑えた清《せい》楚《そ》な挿花へと変わっていた。からみ合わせた枯れ枝の下から覗《のぞ》く可《か》憐《れん》な花輪を、じっと飽きることなく眺めている時もある。また、こたつ掛けは、地味な色を使って小さな絵柄をいっぱい散りばめた民芸風のもの。その絵を一つ一つ見ながら楽しんでいることも多い。  しかし私の部屋に飛び込んできた五つの原色の放射は、あっという間にそれらの美を打ち消してしまった。花はまるでゴミのように、こたつ掛けは古ぼけた使いふるしのテーブルクロスのように見えてゆく。華やかな色の圧力の下では、細部に宿る美はもはや生きてゆくことができない。一輪の美のために、庭に咲き乱れる朝顔の花をすべて抜き取り秀吉を迎えたという利休の故事に、はじめてリアルな思いを浮かべた体験でもあった。  韓国の美人の前に日本の美人はやはり色を失うのだ。目鼻の輪郭を浮き立たせる濃く鋭角的な化粧、人目をそばだてずにはおかない原色系の明るい服地、大胆なデザイン——感覚を強く刺激する、挑戦的な派手さを基調とするファッションの圧力は、そこと知らずにほのかに漂う美のありかへと心を向ける余裕を確実に奪ってしまう。  姉は一週間ほど日本に滞在したが、私は姉が国へ帰るやいなや、例の布団に日本製の地味なカバーを掛けてしまった。確かに、姉のプレゼントは落ち込みがちな私の心をずい分と浮き立たせてくれた。が、二、三日もすると、私は布団を見るたびに落ちつかなくなり、いらいらとする自分を感じたのである。 セクシーな美についての日韓の違い  韓国の女たちが自らを装うに基調とする美は派手さには違いないが、その方向性は「セクシーであること」への矢印をかなり強く持つものだと言える。現代韓国の女性の多くが、いまや「美しい」と言われるよりも「セクシーだ」と言われる方をもっと嬉《うれ》しく思うようになっている。もちろん、一昔前の韓国ではセクシーに見えることはとても恥ずべきことであった。  戦後、とくにこの二十年ほどの間に、韓国の美人像は大きく変化した。それまでは、丸顔で色の白い、いわゆる育ちのよいお嬢さんタイプ、しかも処女の恥じらいを感じさせる世間知らずの娘の雰囲気をよしとした。いまの北朝鮮で美人とされているタイプが、一昔前に韓半島で一般的な美人像だったと言ってよい。金《キム》賢《ヒヨン》姫《ヒ》がその典型である。もし彼女が韓国で生まれ韓国で育ったならば、現代韓国の美人のように、もっとセクシーな美人として自分を磨き上げたはずである。多くの韓国の女たちが、金賢姫を美人だと言わないのは、彼女にはセクシーな魅力が欠けているということに等しい。  日本の女たちのセクシャリティについては、私はこんなふうに感じている。戦後、日本の女たちは靴下のように強くなることと同時に、どんどんセクシーになっていった。そしておそらく、一九八〇年までにすでにピークを迎えた。そこから彼女たちの中では、「女を半分だけ閉じ半分だけ開く」という反転がはじまっていった。  もちろん、この日本の女たちのセクシーさは、韓国のように派手さとともにあるものではない。伝統的な「香りたつ艶《あで》やかさ」を、消費社会を舞台に磨き上げたもの、と言ったらいいだろうか。あくまでソフトなセクシーさである。  このセクシーさがぐんぐん増幅され、もはやソフトさを維持することができなくなったあたりで、「女を半分だけ開く」という新展開が女たちの中に起こったように思う。より「セクシーであること」へと自分を解放していった結果、今度は逆に自分が「セクシーであること」に縛られるようになってきたからでもあったろう。  現在、日本の社会に活躍している女たちの多くに、かつてのように「女で売る」タイプでも「男勝り」のタイプでもなく、「女を半分だけ開く」、いわば五〇パーセントのセクシャリティに限って、それを隠すことなくすっきりと表現する、新しい女の香りを感じるのである。開き過ぎもしない閉じ過ぎもしない、この危うい開閉のバランスのうちに、女のセクシャリティの新たな魅力が香り立っている。  韓国の女たちにも、このような「セクシーであること」の新しい方向転換が生まれてゆくだろうか。それには男たちの去就が大きな問題となってくるはずである。  日本の男たちは、女たちが「セクシーであること」に歩調を合わせ、自らも「セクシーであること」へと向かうことがまるでできなかった。それは日本の男たちは、女たちが「セクシーであること」に表面では喜びながらも、深いところではそれほど食指が動いていなかったことを示すもののように思う。そのことも、女たちが新展開をもたらした契機の一つとなったのではないだろうか。  韓国の男が女を見る目は、きわめて肉体的な性への関心をあらわにしたものである。女が「直接的にセクシーであること」を大きな喜びとする目である。かつて、女が「直接的にセクシーであること」を恥ずべきとしたのは、「女は父系の血統維持のために子どもを産むもの」という、出産のためだけの生殖を女に義務づける、儒教的な父権倫理によっている。もちろん、それで男の性がすむわけはない。したがって、彼らにとっての女は、制度的な「子を産む機能としての存在」と私的な「セクシーな存在」が混同されることなく、はっきりと分けられていなくてはならなかった。  そのような伝統と、現代韓国の性の状況を合わせ考えてみると、韓国の女たちに見られるセクシーさの増幅運動は、女たち自身が制度的な女から自分を解放しようとした動きに一元化することはできない。戦後韓国の性の解放は元来、私的な部分で、より刺激的な性の魅力を女に求めた男の欲望の解放であった。女たちの「セクシーであること」は、そうした男の欲望の解放にぴったりと歩調を合わせたものとみた方がよいのである。  一方、いくら日本の方が性の解放が進んでいると言っても、また性産業が盛んであるにしても、日本の男たちが求める「セクシーであること」の神髄は、結局は、身体の奥底で静かに燃え盛る炎から伝わる、柔らかな温《ぬく》もりに帰結するように思う。  韓国の男たちが求める女のセクシャリティは、もっともっと直接的なものである。そこに寄り添う限りでは、韓国の女たちが日本の女たちのような新展開を見せる可能性はほとんどないものと言うしかない。 目を強調する美の感性  顔の中心には鼻があるが、やはり自己主張を一身に背負っているのは目であるだろう。そう言えるとすれば、強い自己主張をよしとする韓国で、美人のポイントが何よりも目であるのもうなずけることである。  韓国の化粧ではなによりも目を強調する。アイシャドーを濃く強くひくのはもちろんのこと、彫りの深さを際立たせるために、整形手術で瞼《まぶた》の脂肪を除去する者も少なくない。また、人気のある二重瞼をつくる手術では、大きな二重の半円を形づくるように瞼の皮膚の抉《えぐ》りを整える。日本人ならば、深い二重をつくり、目《め》尻《じり》にわずかに二重の重なりが出るように整えることが多いものだ。  日本人は対面して話すときに相手の目をできるだけ見ないようにする。目のわずか下の方を見るのが礼儀だと聞くが、韓国では相手の目を見る方が礼儀にかなっているとされる。相手の心はその目で読むものだからとも言う。  ある日本の男性からこんな感想を聞いたことがある。 「韓国の女の人たちは目がとても輝いていますね。韓国でクラブに行ったりすると、何か目の中に巻き込まれそうになるんですよ」  確かに、目を強調すると他の部分がそれほどよくなくても目立たなくなる。目は確かに「ものを言う」のである。本人は当然、ことさらに目を意識しているから、多くの自己主張を目ですることになる。そのため、両の目は心を映す鏡のように輝きながらも、きわめて強い吸引力を持つ個性の見かけを表してゆく。そのような彼女たちの目に自然に巻き込まれてゆくのだろう。そこでは、目は心の鏡でありながらも台風の目でもあるかのようだ。  韓国の女たちに言わせると、日本の男性の多くが、女性と長い間目を合わせていられずにすぐにそらしてしまう。女の目はやはり奥底の生々しい性を映さずにはいないから、日本の男たちはその直接性にはよく向き合えないのだろう。  また、韓国人は怒るとすぐに目に出る。その輝きは内部の本能的な暴力を実に正直に映している。日本で言うガンツケの目つきである。韓国にいる時にはほとんど気にならなかったが、いまの私は韓国人の怒った顔がものすごく怖くなっているから不思議だ。 美人に会いたければソウルへ  美人は韓国のものというよりはソウルのものである。  ソウルは韓国最大の都市であり国のすべての文化の中心地である。日本が東京を中心としながらも、さらに大阪、名古屋、京都、福岡などの地方都市を中心とする別の巡りをもっているのとは、大きな違いがある。あらゆる文物がソウルへの一極集中を見せているのである。人口の実に四〇パーセントほどがソウル都市圏に集中しているため、韓国人の誰でもが、自分が住む隣の都市よりもソウルの方が一層近くに感じられてしまう。  およそ五百年間にわたる李朝文化は、科挙制度によって地方から人材をソウルに吸い上げ続けた。そして、文化を中心的に担った人々は、両《ヤン》班《バン》と呼ばれた特定の上流階級の者たちだった。中央に集まった両班たちの中から、地方を支配する役人が派遣されたが、派遣される地域がソウルから遠いほど、彼らの権威も低いものとなっていた。  ソウルは五百年以上を溯《さかのぼ》る昔から現在に至るまで、ずっと国の心臓部であり、頭脳であり、政治と文化の中心地としての強力な求心力を持つ、すべての国民の憧《あこが》れの地であり続けてきたのである。  かつては両班に限られていた地方出身者のソウル入りが、いまでは誰にも自由になったため、誰もが両班の気分を味わおうとばかりにソウルを目指しての絶え間ない「都上り」を続ける。ソウルの人口は膨らむ一方で、いまだその動きは衰えを知らない。  大学ならソウルにある大学へ、仕事をするならソウルで、これが地方生活をする者の子弟がまず第一に考えることである。そのため、自分の才能を最も生かすことのできるのがソウルだという通念が巨大に膨らんでゆく。美は当然ソウルの特権となり、ソウルが地方の美を引き寄せる。こうしてソウルに圧倒的に美人が多くなることになる。  美人の集まるソウルで、今度は美の競い合いが激しく闘わされる。その闘いを展開するための武器も訓練場も、ソウルにはそれらの伝統的、近代的な道具仕立てのすべてが揃《そろ》っている。美人を目指す女たちは、心おきなく自らの美の洗練に努力を傾けることができる。そこで美にはますます磨きがかけられてゆく。他者との関係のなかで、どちらが上でどちらが下か、それが韓国では最も切実にアイデンティティを支えるのである。  ソウルで一流の歓楽街を歩いてみれば、誰もが「韓国にはなんて美人が多いのか」との感想を持たずにはいられない。東京でも大阪でも、どの歓楽街へ行ってみても、これほどの美人の集中はまず見られるものではない。韓国という国、ソウルという都市の歴史的な伝統がそうさせているのだ。  李朝の時代、両班たちはこぞって美人を愛《あい》妾《しよう》に迎えた。下層の常《サン》民《ノム》階級の家では、美人の娘があればキーセンに仕立て上げ、ゆくゆくは両班の愛妾にと考える親たちも少なくなかったという。ソウルに住む両班たちは、選び抜かれた美しいキーセンをはべらせて酒宴を張り、とびきり美人の愛妾を抱えて地方の両班たちの羨《せん》望《ぼう》の的であり続けた。それが当時の韓半島の多くの男たちにとっては、目指すべき上等な男の甲《か》斐《い》性《しよう》でもあった。  昔も今も、「美人を見たいならソウルへ、美人であればソウルへ」の公式に変わりはないのである。 美人への執念から貴婦人への執念へ  日本では一口に美人と言っても、二十代の美人、三十代の美人、四十代の美人では、それぞれの美のあり方に違いが感じられる。また、そのセクシーな魅力についても、溌《はつ》剌《らつ》とした肢体、艶やかな装い、清《せい》楚《そ》に漂う色香、などの言葉からも、多様な広がりを感じとることができる。が、韓国では少々極端に言うならば、女の性的な魅力は、二十代の肉体的な若さ、そこ一点に集中している。  女に美的な魅力があるのは、韓国では普通、結婚前の二十代から精々三十代前半までであり、全盛期は二十代の前半と感じられている。韓国の男たちの多くは、もはや四十代に見えた女を「美しい」とは言わない。もし言ったとしても、それは主観的な興味を離れたものに違いない。彼らは日本の男たちのように、「あの美しい中年の婦人にはなんとも言えない色気がある」などとは、まずもって言ったためしがないだろうと思える。  非礼をかえりみず言えば、かの雅子さんタイプの女性が韓国の御老人にもてることは、まずないだろうと思える。美人ではなく若くもない。が、雅子さんがなぜ男を引きつけるのかは、つき合ったことのある男がよく知るところに違いない。たとえば、こよない優しさを一途に向けられるならば、ほとんどの日本の男たちは、たとえ若き美人を強くこがれていたとしても、喜んでそれを棄ててしまうに違いない。  もちろん、韓国でも優しい女が好かれることに変わりはない。しかし、中年の彼女が若き美人に勝ることはきわめて少ないことに思える。私の周囲の女たちの話からも、韓国の男に浮気がはじまるのは、日本の男たちのように精神的な理由からよりは、妻の肉体の衰えからであることが圧倒的に多い。そのことを、韓国の女たちはよく知っている。  したがって、彼女たちが執念を燃やす美人たることとは、若々しい肉体を保持し整えることとワンセットのもので、日本のように肉体を第二次的なものに後退させた、各年齢層にわたりかつ多様性に富む美人の類型をもってはいないのである。  ところで、こうした韓国の女たちのセクシャリティに富んだ美人への執念は、あくまで結婚前のことに限られている。  韓国では多くの場合、結婚前に凄《すさ》まじいばかりに外見を磨いた女も、結婚すればほとんどがそうした磨きを止めてしまう。最近では幾分変わってきたとはいえ、女たちは結婚とともに性的な女の魅力を磨くことから、妻として母としての女の魅力を磨くことへと移行してゆく。それは日本でも多かれ少なかれ共通することには違いないが、李朝より、文化と言えば貴族文化であった韓国では、結婚すれば、娘時代とはおよそ異なった女の磨き方が強く要求されてくる。  韓国人も日本人のように銭湯が好きだが、最近の韓国の銭湯はサウナ室からマッサージ室、休憩室までを揃えた大規模なエステ施設の観が強くなっている。そのような銭湯は、中年の婦人たちでいつも満員だ。夫を会社に送り出し、子供を学校へ送り出した妻たちが、買物のついでに銭湯へと集まる。都会の銭湯は、まさに中年の女たちの社交場のようだ。  彼女たちもそうして美を磨いているのだが、それは女としての性的な魅力維持のためもあるが、それよりも、貴婦人としての魅力を養うためだと言った方がよい。つまり、結婚した女たちには、次には上流の婦人を手本にした、気品ある妻としての外見を持たなくてはならないという、社会的な要請が待っているのだ。  妻は夫の社会的な地位に恥じないだけの装いを、常に準備していなくてはならない。ときに夫とともに外出するとき、夫の会社の上司などに紹介されるとき、パーティーに出席するとき、妻はかつての両班の妻たちのように、性的な魅力ではなく上品な貴婦人の魅力をたたえていなくてはならない。そのために、彼女たちは豊かさを表す健康な肉体づくりにいそしみ、富貴なおしゃれを身につけるための努力にいそしむのである。  もちろん、すべての韓国の女たちがこれまで述べたような女の美へと執念を燃やしているとは言わない。しかし、そうした執念からすっきりと自由になっている女がきわめて少ないことは確かだと思う。  美人への執念、それ自体が悪いものだとは思わない。ただ、その執念のあり方の多くは、自分自身の性の底に着地しようと足を向け、そこからの自立を目指そうとするものではない。残念ながら、表層ににじみ出た男の欲望を自らも表層で受け入れてゆこうとするものであるとしか言えないだろう。そこに私は、私を含めて、韓国の父権的な文化の強固な伝統に、無意識の規制を受け続けている女の姿を見るのである。 男と女雑考 日本に来て変わった男性観  韓国にいる時分、また日本に来てまもないころは、私の好きなタイプの男性といえばきわめて少なく、そう簡単に出会えるものではないと思っていた。ところが、日本で生活するようになってほぼ十年経《た》ったいまでは、それがまるで雨後のタケノコのように急増しはじめているのだから不思議なことである。つまるところ私の好みが変わったからなのだが、そのわが変《へん》貌《ぼう》の何ゆえかをお話してみよう。  二十代の前半、大学生であると同時に軍人であるという時期があった。そのころのこと、私には陸軍士官の恋人がいた。彼は陸軍士官学校出でテコンド六段の強者。背が高くガッチリとした体格で、彼と街を歩いていると、どんな暴力団でも恐れをなして逃げてしまうようだった。しかも知的な雰囲気も十分。豊かな包容力を感じさせる、いわゆる「頼れる男」タイプの典型。当時の私が最も好きなタイプだった。  軍人時代の私は、体力にしても精神力にしても、一般の女性よりはるかに強いという自信をもっていたが、彼の前ではまったく一人の弱々しい女にすぎなかった。それまでの私は、男たち一般からは「強い女」と見なされることが多かったのだが、彼からは「かわいい女」「弱い女」とよく言われた。そう言われることは、そのころの私には何よりも嬉《うれ》しいことだった。男にとって、女はその「か弱き性」の装いが見事であってこそパートナーにする甲《か》斐《い》があるというもの。少なくとも韓国ではそうなのだ。  彼を恋人にもつことによって、それまで女性軍人としては落ちこぼれのように感じていた私は、身体中に活力が満ち満ちて元気いっぱいの日々を送ることができるようになった。というのは、女性軍人は背が一六〇センチ以上が条件なので、みんな背が高く、ギリギリ合格の私は最もチビの方だったからである。閲兵式など、軍の重要な行事には、背が高くてスラッとした、より見栄えのする者から優先的に登用されてゆく。そのため私はいつも裏方で、行事と言えば落ちこぼれに甘んじるしかなかったのである。そして、女性軍人と言えば行事こそが晴れの舞台だった。そんな私に、当時の韓国人ならばだれもがうらやむ陸軍士官の、しかも見るからに男っぽい男の恋人ができたため、私はいきなりトップクラスの注目の的となったのだった。  いろいろなことがあって、結局、彼との恋は実らなかった。それからしばらくして私は日本へ渡ったのだが、来日三〜四年の間は、なんて日本には魅力的な男性がいないのだろうと感じ続けていた。それは別にかつての恋人への思いが残っていたということではない。韓国では、とにかく男と言えば堂々としていてスキを見せないものだし、そこに男としての威厳があり、その装いのあり方にそれぞれの魅力がある。それに対して、日本の男性はソフトでいかにも弱々しい態度の人が多く、一見強固に見える人でも、なにかあっちこっちが穴だらけのように感じられたのである。  女子大生たちと雑談していると、プロ野球巨人軍の原選手とつきあってみたいという者がいるかと思えば、お笑いのビートたけしと結婚したいという者がいる。原選手は腕には自信があるかもしれないが、お坊ちゃんのような弱々しさがそれを帳消しにしている。ビートたけしとなると話上手で楽しいかもしれないが、男としてはそれこそスキだらけで頼りがいがないではないかと思った。  おしなべて日本の男性は、自らを強固な者として装うことにあまりにもずさんだ、ようするに男としてのセンスがない——そう感じていたのである。  日本に来て数年してから気がつくことがあった。韓国の男は確かに質実剛健でかつ知的という男子の装いを旨としている。が、それは実は「完《かん》璧《ぺき》さ」の表現なのではないか、ということである。儒教的な人生の理想は、すべての道をおさめた聖人・君子という、完璧なる人間に達することにある。そこで、男たちは自らを完璧なる者として表現しようとする。その競い合いが男としての魅力を磨くことでもあり、女たちが注目するところともなる。しかしながら、現実には完璧さの表現を見事にできる男など、そうそう、いはしないのだ。私の好きなタイプの男性は韓国でも実に少なかったし、日本に来てはなおさらのことだった。その理由がはっきりわかったように思ったのである。  こうした「気づき」は、仕方なく(?)不完全性をあらわにする日本の男性との接触が多くなるにしたがい、それらの関係のなかで、不思議に心の平安を感じている自分を知ってからのことだった。不完全な相手だからこそこちらが相手に入ってゆく余地ができる。しかし、韓国的な完璧さを表現する男を前にしては、女は男にすべてを任せるしかない。行きたくない所でも、男が行こうと言えばついて行くことになる。グングン引っ張られることになる。女は方向性がわからず、常に不安を抱えさせられることにもなる。そこでは、ともかくも相手に寄りかかって安心感を得ようとするしかない。で、現実には、そうやって女に心の底から安心感を与えることのできる男はそうはいないのである。  日本人は「いかにも〜らしい」と自分がみなされることを自ら崩し、自分をより未熟なものとしてみせようとする傾向が強い。日本の男の不完全性指向——そのへんのセンスのよさが日本の男の魅力であり、現在の私も注目するところとなっている。となると、魅力的な男性は身の回りにたくさんいるのである。気がつくのが遅かったのかもしれない。世の中には、なんて魅力的な男が少ないのかとの思いで青春時代をすごし、この年になってようやく、実は魅力的な男は身の回りにたくさんいるのだということを知るなんて。そう嘆くことしきりである。 日本の男が韓国の女を誘うとき  日本では「夫婦相和し」とも言われたように、男女関係にあっても他の関係同様に「和合」がよき姿とされる。一方韓国では、夫婦に関してはとくに「一体でなくてはならない」とされる。一体とはちょっと無理な言い方で、あくまで理想として言われるのだろうと、そう思われるかもしれない。しかしそれは、そうあることが望ましい理想ではなく、そうでなくてはならない原理なのであって、その原理を示していてこその夫婦なのである。  韓国の男女観は儒教的な世界観と密接に結びついており、諸個人の生活意識を深いところで支配してもいる。この場合の「一体」は、男からの働きかけを女が受けることによって成立するものと理解されている。日本人ならば、そうした考え方そのものはわからないではない。としても、韓国人にあっては、それは単なるひとつの考え方なのではない。ごく普通の男女関係のなかで、だれもがそれと意識することなく身につけている、習慣的な行動規範でもあるのだ。  具体的にはどういうことなのか、最近の身近な体験からお話してみよう。  以前私の教室の生徒だった若い韓国の女の子が、「悩みがある」と私のもとへやって来た。私が「日本人通」ということになっているらしく、ちょくちょくそういうことがある。彼女は、日本人形のようにふっくらとした頬《ほお》に浮かんだ笑みが、とても魅力的な女の子である。  彼女はある日、勤め先のレストランに出入りのある日本人営業マンから、「あなたが好きです」との告白を受けた。以前から秘《ひそ》かに好感をもっていた相手だったから、彼女にとってこれほど嬉《うれ》しいことはなかった。それから毎日彼のことを思った。そして、彼の愛に応《こた》えるためには、自分をより魅力的にみせることに徹底して努力しなければならないと自分に言い聞かせた。それからの彼女は、まさしく男の愛をいっそうつのらせるようにわが身を処していった。が、二週間ほどすると、なぜか彼はまったく彼女に興味を示さなくなってしまった。店で彼女と出会っても、軽く会釈をするだけで、いっさい声をかけようとはしない。変心の理由がまるでわからないと嘆く彼女は、けっして子供っぽい行動をしたわけではなかった。自分を思う男性の気持ちに十分応えられるだけの行動を、韓国の女として「立派」にやりとげていたのだった。それなのに……なのである。  彼女の行動はこんな具合だった。まず「好きだ」と言われたとき、黙ってうつむいたままでいた。最初のデートの申し込みを当然のような態度で断る。二回目も三回目も断る。困惑しつつもにこやかに近づいてくる彼に、つっけんどんな態度で冷たく応じる。四回目、彼はおそるおそる「今日はひまあるかな? もしよかったら……」といたって弱腰で誘う。これでは「身持ちの固い女」としての自分は崩れようがない。受けたくても、受けられないではないか。とはいえ、次には自分から自分を崩して受けてあげようと思った。が、それを最後に、彼は再び彼女に声をかけることをしなくなったのだった。  彼女のとった態度を倫理的に支える儒教的な原理は、簡単にいえば次のようなものだ。世界の根本的な実在を太極と言い、この太極の「動」から陽(男)が生じ、しだいに陽の気が高まって極限に達すると、やがて「静」となり陰(女)が生じる。そこにはじめて一体としての陰陽=男女が出現する。したがって、男は能動的な「動」としての限りをつくさなくてはならない。そうすることなしには、「静」がもたらされ陰=女が出現することはない。  彼は断られようと悪《あ》しざまに罵《ののし》られようと構わず、執《しつ》拗《よう》に彼女を誘うべきだった。韓国の男ならば当然そうしたはずである。一方彼女は、彼の誘いを受けてその喜びを率直にあらわすべきだった。日本の女ならば当然そうしたはずである。 韓国、その中央集権化の力学 韓国人は「体育会、応援部」的?  以下は、私がしばしばあちこちで耳にする、日本人の韓国人についての印象断片の主なものである。  ○よくないところ 「とにかく激しくすぐに熱くなる」「ワンパターン」「見《み》栄《え》っ張りで自己顕示欲が強い」「上昇志向が強い」「権力志向が強く権威主義的」「自己主張が強すぎる」「すぐに上下の差をつけたがる」「衝突ばかりしていて集団活動がスムースにいかない」「金遣いが荒く成金趣味」  ○よいところ 「家族、身内を大切にする」「義理がたい」「一本気な性格」「行動的」「情熱的」「誇り高い」「素朴で純粋」「喜怒哀楽を素直に表現する」「率直ではっきりとものを言う」  日本人は韓国人についてこんな印象をもっているということを、所用で来日する知り合いの韓国人ビジネスマンにしてみることがよくある。反発するにせよしないにせよ、ほとんどの人が「そういう人が多いですね」と言う。その限りでは、印象そのものに大きな間違いはない。  あるとき、こうした印象断片のメモを知り合いの日本人に見せたところ、「体育会、応援部、あるいはツッパリ青少年といった感じですね」と言われたことがある。何のことかよくわからなかったが、説明を受けてその人が何を言いたいかは理解できた。そしてなるほど、とも思った。しかし同時に、そうした「総括」の仕方はきわめて誤解を生じやすいとも感じて、こう聞いてみた。 「ということは、韓国人は硬派の発展途上人だということですか?」 「うん、そう思っている日本人が多いし、またこうした印象をまとめてみると、どうもそう思えてしまうことも確かです。でもそうではないかもしれない。底の方に韓国固有の文化的、社会的な伝統が力強く流れていて、その現代韓国的な現れなのかなとも思います。でも、結局両方あるんじゃないですか」  そう、両方あるに違いないのである。ただそこを区分けすることはきわめて難しい。そのため、多くの日本人から「韓国は日本の何十年か前と同じだからよくわかる」という理解の仕方を聞かされることにもなる。確かにその面はある。そうした外部からの一般理解による指摘は、韓国人自身では気がつくことが困難なものであるだけに貴重なものである。ただ、そうした理解では、無意識のうちに韓国外部の世界(日本)を基盤につくられた理念や考え方が普遍的なものとみなされている。そこでは、日本にも通じる一般的なあり方として韓国人や韓国社会を理解することはできても、韓国人や韓国社会そのものを理解することはできないように思う。  では韓国人や韓国社会そのものを理解するにはどうしたらよいのか。その理論的な筋道はもちろん韓国人自身でつけるしかない。それは私などの素人がおいそれとできるものではないが、問題意識だけはなんとかもっている。が、韓国人自身の中にも「韓国人=硬派の発展途上人」の意識にとらわれている者も多い。  たとえば、来日する韓国人から「韓国人もずい分変わりましたよ、そうした印象はちょっと昔のものじゃないですか」と言われることが最近はよくある。しかしそこには、もはや韓国は発展途上国ではないと言いたいがための、無意識のうちの「うそ」が見え隠れしているのを感じないではいられない。 急速に消費社会の顔を見せはじめた韓国  確かに、消費社会の急速な発展とともに、韓国の社会にもようやく激しい多様化の波がおとずれている。そして、「韓国は変わった、消費社会が進展し、また民主化が成って、かつてとは比較にならないほど多様な顔をみせる社会が形づくられている、その点ではほとんど日本と変わりがなくなってきている」と印象を語る日本人、そう主張する韓国人、いずれも多くなってきている。  もちろん経済規模では大きな違いがあるものの、社会構成上、確かに「日本並み」の動向を示すデータは多い。たとえば近年離婚率が上昇して日本と並び、女性一人あたりの出生数が一・六五人(日本、一・五七人)、テレビの普及率がほぼ一〇〇パーセント、失業率は三パーセント強(日本、三パーセント弱)、大学の進学率となると日本以上に高いなど、社会的にはさまざまな面で、日本とよく似た数字を示すようになってきている。  一般的な資本主義経済の発展のあり方としては、第三次産業の占める割合が高いほど、より高度化が進み、消費社会の成熟の度合いが高いことを示すと言われる。そして韓国では全産業の半分がすでに第三次産業によって占められている。   [産業別人口構成比とGNP比](一九八七年/韓国企画院「経済活動人口調査」より)          人口比(%) GNP比(%)  第一次産業 韓国 二一・九  一一・五        日本  九・三   三・〇  第二次産業 韓国 二八・一  三一・九        日本 三三・一  四二・〇  第三次産業 韓国 五〇・〇  五六・六        日本 五七・八  五五・〇    一九七〇年代の就業人口では、第一次産業が四〇数パーセント、第二次産業が一〇数パーセント、第三次産業が三〇数パーセントのレベルだったから、この二〇年ほどで韓国の産業構造は大きな変《へん》貌《ぼう》を遂げたことになる。数字上、すでに第三次産業に従事している人が半分となっているところから、韓国でも日本のように第三次産業が主要産業の位置を占め、韓国はもはや成熟した消費社会に突入した、とみなす考えもあるようだ。実際、そのような観測を述べる韓国人が少なくない。  しかしよく考えてみると韓国は、一人当たり国民総生産ではいまだ日本の四分の一規模の国である。まだまだ単純工業生産に力を入れなくてはならない国であることからすれば、第三次産業の占める割合はなんとも高すぎるのではないだろうか。そこで内訳をみてみると、金融・保険・その他社会サービスに対して小売・飲食・宿泊業の占める割合が、日本など先進諸国に比べると、きわめて高い状態にあることがわかる。一般的な考えからすれば、未成熟な状態にある第三次産業の拡大、ということになるだろう。  また、消費社会化の傾向を家計支出の動向からつかむこともしばしば行なわれる。韓国の都市勤労者家庭における家計支出の動向は、一九九〇年七〜九月の前年同期比で、装身具購入費・自動車購入維持費・交際費で四〇パーセント以上、教育・教養娯楽費で三〇パーセント以上、外食・嗜好食品費で二五パーセント以上とそれぞれ増加をみており、この数年、高級型消費の増加傾向が顕著になっている(『東亜日報』一九九一年一二月二一日)。  この数字も消費社会がより高度化してゆく傾向を示すものともみえるが、一方で、貯蓄率が日本(一二パーセント台)の半分以下の水準にあり、いまだ財支出(サービスではなく物を買う支出)の占める割合も多く、外食費支出の伸びは主食費の減少という「犠牲」の上に成り立っている。  韓国の場合、第三次産業の占める割合の高さが、そのまま高度消費社会の成熟を物語るものとは言えないとすれば、こうした家計支出の動向は過剰消費の傾向を示すものと言えるのではないだろうか。 過剰消費の背景にある虚栄心と自己顕示欲  現代韓国の社会に特徴的に起きている事態は、ひとつには、社会構成の変貌があまりにも急速に進行しているため、旧来の社会的な意識が十分な変革を得ないままに歩き回っている事態、と言えるように思う。経済的な階層としての中間階層は拡大しても、いまだ中間層独自の文化が自立して展開してはいない。多くの人々が、上流階層の人々の生活をモデルに自らの生活をつくりあげたいと思っている。国民の過剰消費、高級品指向には政府自ら勧告を発するほどである。韓国の新聞も次のような慨嘆を隠さない。     「……まだ一人あたりの国民所得が五千ドル(一九九〇年)にも満たないのに、わが国の奢《しや》侈《し》病《びよう》は、常識の段階を超え、外国人から〓“シャンペンをあまりにも早くあけすぎた〓”と皮肉られる事態を生んでいる。    韓国消費者保護院が昨年、家電製品、家具類など八商品の消費実態を調査した結果、乗用車の場合、一台二億ウォン(日本円、約四千万円)台のベンツ(五〇〇〇�)とBMW(四九八〇�)購入者が、一九八八年の同期よりも二倍増え、外国製大型冷蔵庫は十倍も売れたという。乗用車や家電製品だけではない。五百万〜六百万ウォンのペルシャ産の手織カーペット、二百万ウォンの女性用高級ハンドバッグ、六十万ウォンを超える子どものおもちゃなどがデパートで堂々と売られている」(『東亜日報』一九九〇年の連載、国際関係共同研究所訳『韓国人の自己診断』光文社より)    嫁入道具を婚《ホン》需《ス》というが、その費用の相場が一般でも一千万ウォンを超え、医者や弁護士などの上流階級ともなれば、数千万ウォンから一億ウォンまでとエスカレートしている。ブランド志向が強く、最近、私の知り合いの中小企業の経営者が、韓国からの研修生が高価なローレックスの時計をして出勤すると驚いていた。また、最近、韓国に投資して小さな合弁企業を発足させたある日本人企業家は、社員が二、三名の会社なのに、広さ数十坪のオフィスに豪華な応接セットをすえて事務所を構えたのにはびっくりしたと言っていた。冬、豪華なミンクコートを着てショッピング街や盛り場を闊《かつ》歩《ぽ》する女性を見れば、まず韓国人とみて間違いないと言えるほどである。  確かに、「シャンペンをあまりにも早くあけすぎた」のである。が、より正確には、「あけたくてウズウズしていたところ、ともかくある程度の経済的な余裕ができたので、その欲望が一気に噴出した」と言った方がよい。  かつての上流階級であった両《ヤン》班《バン》にあっては、いかに金を稼ぐかよりも、いかに惜しみなく金を使えるかが彼らの甲《か》斐《い》性《しよう》であったし、その使いっぷりのよさで尊敬されもした。韓国人の中には、いまだにこの両班たらんとする意識が強い。李朝五〇〇年の間を通して、両班だけが権力者、知識人、財産家、浪費家をかねそなえた「大人」であり、その生活のあり方はすべての庶民の憧《あこが》れであった。  現代の韓国人の多くが、誰が誰より権力、知識、財産、金遣いの点で上なのか下なのかを最大の関心事としているのも、また見栄っぱりで自己顕示欲が強いと言われるのも、強固な両班指向(上級指向)が意識の底流に流れているからである。  十数年前までは、子どもたちが将来なりたいものと言えば、男の子ならば大統領、政治家、軍人、学者が、女の子ならばお母さんやスチュワーデスがトップクラスを占めていた。しかし、最近私の手元に送られてきた姉の息子の小学校の卒業文集をみると、男の子の場合、あい変わらず政治家も目立つが、スポーツ選手の人気がことのほか高く、それまではほとんどみなかった技術者もちらほら目につく。女の子ではお母さんよりも学校の教師の方が多く、かつてはまずいなかったヘアーデザイナー(韓国ではファッションについてのトータル・コーディネーターを意味している)をあげる子もいる。  確かに、社会の動きを敏感に感じる子どもたちのなかでも多様化が進んでいるには違いない。しかしよくみると、一見バラエティーがあるようにみえて、結局は社会的な権威や注目度の高い職業に集中していることがわかる。日本の子どもたちのように、タクシーの運転手とか、大工や美容師などをあげる子どもはほとんどいないのである。  新しい世代に新しい価値観が宿りはじめていることは事実だが、この「将来なりたいもの」に示されたもので言えば、いまだ大人社会に根強い、権威主義的で自己顕示欲の強い価値観を正直に反映していると言わざるを得ない。 同一性内部で進行する韓国政界の多様化  韓国社会におとずれている多様化は、日本社会が形づくっている多様性とはおよそ性格を異にするものだ。それは、消費社会の進展によって形成された多様化というよりは、元来からの韓国的な多様性が、消費社会の舞台上に装いを新たに展開しているもの、と言った方がよい。韓国的な多様性とは、同一性内部での差異に基づく多様性であり、多元性、多極性を含んだ多様性なのではない。  その好例をこのところ流動化の激しい韓国政界の動きにみることができる。  政党の主な動きとしては、第一に、民正党(民主正義党)・共和党(新民主共和党)・統一民主党が合同して民自党が結成され、平民党(平和民主党)が一部の革新諸派を吸収して民主党となり、民自・民主・民衆の新たな三党体制が生まれている。  そうしたところへ、一九九二年一月十日に元現代グループ名誉会長の鄭《チヨン》周《ジユ》永《ヨン》が主導する統一国民党の発起人大会がもたれ、十五日には元延世大学教授の金《キム》東《ドン》吉《ギル》らを中心とするセーハン(新しい韓国)党の創党発表と続き、二月七日には両党が統合して統一国民党として出発することになった。さらに一月十九日には労働運動家たちによる韓国労働党が結成され、民衆党との統合交渉が進められて二月七日に民衆党に統合されている。その他には、青年韓国党が新しく生まれ、元新民党(新韓民主党)総裁の李《イ》敏《ミ》雨《ヌ》による新党結成の動きもあり、また既成少数派政党として公明党や基督聖民党などの動きも活発化している。  まさに激しい流動状態のなかで総選挙が行なわれ、そして大統領選挙が行なわれようとしている。こうした動きを、与党側には保守合同による安定政権が志向され、それに対して野党側でも結束を固めての統合が押し進められ、さらに中間政党の創出、少数派政党の自立化とみてゆけば、消費社会の進展による階層分化にともない、それぞれの階層利益を背景に政党が多様化してゆく姿を示すものと言っておかしくはない。  一方、国民の側でも、『東亜日報』(一九九二年一月一日付)の世論調査によれば、支持政党は民主党一九・九パーセント、民自党一六・四パーセント、民衆党二・一パーセント、支持政党なし六一・五パーセントと、社会的な多様化の様相を深めている。  また、現在のところ、大統領選挙出馬の意思ありとみられ、そのような動きを示している者は実に、次のように九人にものぼっている。   キム・ヨンサム(金泳三、民自党代表)、キム・デジュン(金大中、民主党総裁)、キム・ボクトン(金復東、国際文化戦略研究所理事長)、パク・チョロン(朴哲彦、体育青少年部長官)、カン・ヨンフン(姜英勲、前国務総理)、イ・ジョンチャン(李鍾賛、民自党議員)、イ・ギテク(李基澤、民主党代表議員)、パク・テジュン(朴泰俊、民自党最高議員)、チョン・ジュヨン(鄭周永、統一国民党・元現代グループ名誉会長)[一九九二年三月現在]  このような、政治的な激しい流動と多様化への動きは、確かに民主化によってもたらされたものには違いない。が、それがそのまま社会的な階層分化に連動しての、多元化、多極化への構造変化を物語るものとは言えない。韓国の多くの政党は、いまだ共通の階層利益を代表する集団というよりは、メンバーのそれぞれが権力に近づくための踏台としての機能的な側面の方が強く、党派相互の間に大きな相違点がない。そのため、政党とはいっても徒党的な集団を完全に脱していないものが多い。  これまでのところでは、やはり同一性内部での差異がもたらす衝突と結合の域をそれほど出ないものとみなすしかないように思う。  そもそも、民自党を構成するかつての民正・共和・統一民主から金大中の民主党、創党された統一国民党にいたるまで、イデオロギーや社会体制に関しての考え方に本質的な違いはなく、日本的な感覚からすればすべてが自民党であってもおかしくはない。その意味では三党合同はリーズナブルな動きとは言える。しかし、民主系(五二名)、共和系(三四名)はいずれも合党後も単一系派を維持しており、民正党(一二七名)では離合集散が激しく続いている。そのため民自党内部は、盧《ノ》大統領直系派、親金泳三派、反金泳三派、傍観派の四派への分解を遂げ、勢力再編成が主な関心事となっているようだ。 ヘンダーソンの「韓国社会〓=上昇渦巻パターン説」  再び言えば、韓国的な多様性とは、伝統的に同一性内部での差別化の現れとしてあり続けてきたものである。日本のように、伝統的に価値観の多元性や中心的な軸の多極性を含んでのものではない。その意味で韓国が単一化社会と言われてきたのは正しいし、またそれが現在にいたって根本的な変化をきたしているとは言えない、というのが従来からの私の考えである。  韓国は、世界でもまれにみる単一で長い政治的伝統をもち、強固な中央集権化の体制のもとで、同質で共通な文化的、歴史的な体験を積み重ねてきた国である。戦後の韓国は現在にいたるまで、いい意味でも悪い意味でも、ずっとそうした同質性を力の源としてきている。  私は機会があるたびにそのことを主張してきたし、日本的な文化常識の理解や多様性の感覚をそのまま持ち込んで韓国社会のさまざまな現象を論ずるところに、大きな誤解が生じてしまうことを主張してきた。韓国は日本人が想像できないほど「型破り」な政治社会的な伝統を現代にまで抱え込んでいる国なのである。  韓国・朝鮮の政治社会的な伝統が、世界的にみていかに「型破り」なものであるかをはじめて適確に指摘してみせたのは、おそらく、外交官として戦後韓国に滞在歴をもつアメリカの朝鮮問題研究家、グレゴリー・ヘンダーソンである。彼はその驚きを次のように描写している。     「〔朝鮮のような〕農業を基盤とする(都市国家型ではなく)中央集権的寡頭政治への傾向は、世界でもまれに見る例である。朝鮮ほど安定した版図の中で、これほど持続した政治的わく組みのもとに、これほど画一的な民族、文化、言語の環境の中で、これくらいの大きさの国に根を下ろした伝統は他にその類例がない。また地方勢力を朝鮮ほど芽のうちに完全につみ取り、中央支配を長期にわたってゆるぎなく持続した国も数少ない。朝鮮という温室は、その持主こそ何代も代わったが、温室は概して一定であったということができよう」(鈴木沙雄・大塚喬重訳『朝鮮の政治社会』サイマル出版会/一九七三年)    ヘンダーソンはそのような問題意識から李朝〜朴政権時代の政治社会史に検討を加え、韓国を動かす力学は、「社会のあらゆる活動的分子を、権力の中心へ吸い上げる一つの強力な渦巻」にたとえられるとして「韓国社会=上昇渦巻パターン説」を提唱し、朝鮮現代史を見事に分析してみせている(同前書)。  恥ずかしいことに、私は最近になってこの本と出会ったのだが、私なりに感じていた韓国社会の構造とその特徴が実に鮮明に描かれていることに驚かされ、これまでに読んだ韓国社会を分析した本の中では最も強い刺激を受けた。しかし、さらに驚いたことは、この本が韓国語に翻訳されていないということだった。外側からこれだけ正確に把握されたことには、韓国人の研究家は驚嘆して敬意を表し、内側からの把握をもってぶつかってゆくべきだと思った。 韓国社会の極度な中央集権化の構造  韓国では言うまでもなく、あらゆるものがソウルへの一極集中化をみせている。そのため、実に全人口の四〇パーセント以上がソウル都市圏へ集中するといった状態。まさに国といえばソウルのことであり、地方はあたかも植民地であるかのようだ。韓国の歴史をよく知らない人にとっては、なぜこれほどのソウル一極集中が起こるのか不思議なことに違いない。ヘンダーソンの理解を借りながら概観してみよう。  李朝、とくに十六世紀以来強化され続けてきた中央への権力集中は、日本の施政下で一時的に分散されたが、解放後はほとんどが元に戻ってしまった。それは、第一に日本が所有していた工場などの生産機構を、民間ではなくソウルの官僚機構の管理下に置いたことによるものだった。そのため、釜《プ》山《サン》、馬《マ》山《サン》、大《テ》田《ジン》、木《モク》浦《ポ》などの地方的な力が一気に弱体化した。しかも、朝鮮戦争で韓国の国土の大半が戦禍に見舞われ、四分の三もの工場が閉鎖されるなどの大打撃を受けてしまった。さらに農地配分の結果、地主層が解体して農業経営に政府が直接介入するようになり、地方はさらに自立の基盤を失うことになっていったのである。そして、アメリカと国連による復興のための援助金のほとんどすべてが韓国政府を通じて行なわれたため、中央の支配権はいっそう強まっていった。ヘンダーソンは、韓国についての知識の準備をまったくもっていなかった在韓米軍司令部が、韓国人が言うままに無批判的な人材登用を行なったことも、人々が中央権力へ向かって進もうとする力の強化に大きな役割を果たしたと述べている。  ヘンダーソンは、こうした韓国に伝統的な求心的力学パターンは、国土が狭いためにロシアや中国とは比べものにならないほど強烈なものとしてあったと言う。それはまさに、ひとつの強力な渦巻なのである。そして、この凄《すさ》まじいまでの求心力は、社会の活動的分子をこなごなに原子化して権力の中心へと吸い上げてゆく。この原子化した上向きの流れが社会的な結束を弱め、同質な環境の中で、徒党や派閥などの小さな相違点を軸にして、激しい対立と結集が繰り返されることになる。  ヘンダーソンがつぶさに観察しまた体験した戦後の韓国社会にみたものは、際立った原子化のなかで、渦巻社会の頂点という同じゴールを目指して、ほぼ同じスピードで進む人々の姿であった。私は、この韓国社会を支配し続けてきた力学は、いまなお本質的な変化をしてはいないと思っている。  韓国の最初の大統領選挙において、野党勢力の金大中と金泳三が結局は手を結ぶことができなかったため、合計票では盧《ノ》泰《テ》愚《ウ》を大幅に上回っていたのに大統領を逸した。そうした事態に多くの日本人が首をかしげた。しかし、それは韓国人には何ら不思議なことではなかった。なぜなら、そうしたことは軍事政権時代にもしばしばあったことだったからである。軍事政権時代、野党は十余派の政党に分裂して対立し合い、得票率では圧倒的な多数を占めながらも議席数では与党が多数派となるような事態を生み出していた。  客観的な分裂の根拠をもたない韓国の集団間の争いは、えてして潜在的な多数派を敗北させて少数派に転落させてしまう。初の大統領選挙で、まさしくその通りのことが起こったわけだが、これから行なわれる大統領選挙で、また同じことが起こらないという保証はまったくないのである。 日韓関係が鍵《かぎ》を握っている  韓国の社会に、バラバラな原子化状態のままで一様に縦方向へ突き進もうとする力が強いのは、逆から言えば横につながろうとする力がきわめて弱いためである。ヘンダーソンも言っているが、その原因の最大のものは中間層の欠如だろう。経済階層としての中間層は確かに形成されてきてはいるが、先にも述べたように、いまだ国民の間には中間層の意識も文化も幅広い展開をみせてはいないのである。  日本のある生活協同組合の人から、韓国で消費者活動をする団体のメンバーが研修に来たときの話を聞いたことがある。なかで「やはり」と思ったことは、トラックを運転し、自ら商品をかついで搬入・搬出に汗をかく従業員のほとんどが大学出だときいてびっくりしたということ。彼らにとっては、大学を出てわざわざそうした肉体労働をすることが、理解を絶するものだったに違いない。また、日本で公害防止のために廃食油からセッケンをつくる運動を進めている工場がいくつかある。ある工場の関係者から聞いた話だが、韓国の消費者団体でもそれをやろうということで相談があったが、運動家自身が自ら作業をやる気はまったくなく、人を雇って経営することばかり考えていたという。  消費者運動家は、いわば中間層の利益代表でもある。中間層の知識人たちもその多くは多かれ少なかれ、人を指図し機構を運営する高級インテリとしての両班志向をもち、そこを頂点とする強力な渦巻にとらえられている。  日本ではなぜ中間層が自立を遂げ、現在のように中間層主導型の社会を形成することができたのだろうか。それについてはいろいろな考え方があるだろうが、いずれにしても中間を大切にするのが日本人の伝統であり、その伝統をよく生かしたもの、と言うべきだろう。曖《あい》昧《まい》、どっちつかず、煮え切らない、など、国際的な非難を浴びながらも、中間を大切にする伝統を生かして、戦後に高度な消費社会を作り上げてきた。  韓国はどうすればよいだろうか。はっきり言えることは、ヘンダーソンの言う「上昇渦巻パターン」の伝統をどう革新するかである。時間の問題だという人も多い。つまり、現在の韓国は急激な経済成長によるさまざまな軋《きし》みからくる混乱期にあるけれども、それが過ぎて安定してくれば、自ずと中間層が力をもってくるものだと。としても、それを待っていればいいというものではない。  私はその最も大きな鍵は今後の日韓関係にあるように思えてならない。韓国は韓国的な同一性の内部から出ないままで日本と向き合おうとする。日本はいつもそれを仕方のないこととして、受けとめるふりをしながら、結局はかわしてしまっている。それがこれまでの日韓関係に多くみられるパターンのように思える。そこには異質な外部とのぶつかりあいがなく、したがって横へとつながる道筋も生まれてはこない。従軍慰安婦問題は、このパターンを象徴的に物語るものではないだろうか。  さまざまな理由から、日本と韓国は互いに自立した外国であるという意識が希薄になっているように思う。従軍慰安婦問題にしても、お互いの身内意識が問題点を曖昧にさせている。それは民族的・文化的な同系性、酷似した顔かたち、日韓併合の体験などによるものかもしれない。  韓国自身のことをさておいて言わせていただくとすれば、日本が韓国にとっての徹底的な外部(外国)になること、日本がそうした姿勢を貫き通す外交を展開するようになれば、韓国は異質な外部としての横との争点、融合点という問題を、はじめて自立的に考えなくてはならなくなるはずである。韓国にとっての横になり得るのは、やはり日本しかないのではないだろうか。  ㈿ 儒教的世界と神道的世界 韓国の孝と日本の忠 儒教の倫理観を逆転させた日本人  あるとき、個人的に儒教を勉強しているという知りあいの日本人から、『中庸』の次の章句を見せられて、意見を求められたことがある。     「天命之謂性、率性之謂道、修道之謂教(天の命ずるをこれ性と謂《い》い、性に率《したが》うをこれ道と謂い、道を修むるをこれ教えと謂う)」    儒教の国、韓国で大学を卒業した者ならば、当然なんらかの考えを聞けるにちがいないと思われたのだろう。が、ことさら儒教に興味をもって勉強をしたことのない私にしてみれば、確かこれは有名な章句で、学校で習ったような記憶がある、といった程度のことでしかなかった。これでは話にならないと、逆に私の方から質問することになってしまった。 「どうも哲学や思想の方面は勉強不足なもので、わかりやすくあなたの考えを聞かせていただけますか?」  その人は「はあ?」とけげんな顔をしながらも、すぐに、およそ次のような見解を述べてくれた。  ——この章句はこんなふうに意訳できると思う。 「天があたえた自然の秩序を命と言い、これを受けて生まれついた人間をはじめとする万物にそなわっているものが性である、そしてこの性にそなわっているのが道であり、この道を修めることが教えである」  ようするに、自然界の秩序を受けて人間界の秩序である倫理とか道徳がある、同様に自然な人間のあり方(性)を受けて倫理的な人間のあり方(道)がある、ということだと思う。韓国の儒教は朱子学だから、たぶんそんな具合に理解されているのではないか。でも、日本の伊藤仁斎という江戸時代の儒学者は、それは逆ではないかと言う。仁斎は、まず具体的・現実的な人間関係のあり方を追い求めてゆくところに道があり、この道にしたがうことが人間の性なのではないか、と考えたようだ。自分も仁斎の理解の仕方の方がピンとくる——。  なるほど、まさしく日本人だからこそできる考えなんだな、と感心してしまった。朱子学での正統な解釈、伊藤仁斎という日本の儒学者、いずれも私の知識の外のことなのだが、この対比はその限りでは、現代の韓国人と日本人の考え方の対比としても、決しておかしくないように思えた。それは体験的にもよく理解できることである。確かに韓国では、男女とか血縁とか地縁とか、生まれついての自然な人間のあり方が倫理的な価値を強固に支えているように思える。その点に限って言えば、日本の方が人間本位で韓国はより自然本位と言えるだろうか。 自然な生まれつきに価値を求める社会  韓国の伝統的な社会は、宗族という血縁集団の集合体である。宗族とは男子単系血族で構成される同姓血縁集団であり、たとえば「慶州金氏」とか、私の場合で言えば「海州呉氏」とかいうように、祖先の発祥地(本《ほん》貫《がん》)を冠した同族名をそれぞれもっている。この宗族が男系の子孫を確保するために他の異姓の血縁集団と婚姻関係を結ぶ。が、女は婚姻によって他家へ移っても、宗族の系図(族譜)には名が記されることがない。宗族からみれば、女は男子単系血族の子孫を生産する「道具」にすぎない。したがって、父系祖先の祭《さい》祀《し》には通常、女は参加することができないとされてきた。  このシステムは、いまから五百数十年前にはじまる李朝の時代に、儒教を国家の制度思想として取り入れたときから形づくられたもので、いまなお、ほとんど崩れることなく存続している。事実、韓国民法の八〇九条では、本貫を同じくする同姓婚を禁止している。また、女が単独で戸籍をもつことは、一九九一年からようやく可能となったに過ぎない。  人間が男であるとか女であるとか、だれの血をひいているとか、どこの土地の出身だとかいうことは、本人にはなんら責任のない自然な生まれつきの問題であって、それ自体ではどんな倫理的な価値をもつものでもない。が、韓国の社会ではいまだにそれらが基本的な社会の差別性としてあらわれている。儒教的な社会の伝統がいかに強固に残存しているかを物語るものといえるだろう。  そこでは、自然と倫理が一つにつながっているのである。儒教的な影響の強い社会に限らず、人々の社会的な意識が自然意識とはっきり分離してとり出されていない社会では、多かれ少なかれ、同じような自然——倫理の問題を抱えている。日本にもそうした問題がないわけではないが、日本人には、一方で自然——倫理の直結を避けようとする意識も強いように感じられる。それはとくに、自然な家族間の結びつきと社会的な関係とを混同しまいとする意識によくあらわれている。たとえば、親子の間の金銭貸借でも借用書を書くようなことは、韓国人ならばまずやらないことである。  韓国人では孝が他のすべての倫理に優先するが、日本人はその間の区別をかなりはっきりさせようとする人たちのように思う。「わたくし事」を優先させることによって、他の社会的な倫理を侵してはならないという考えはもちろん韓国人にもある。ただ、韓国人にとって孝は、日本人のように単なる「わたくし事の倫理」ではなく、最高の普遍的な倫理なのである。 孝優先の韓国と忠優先の日本  私が日本へ来てしばらく経《た》ってからのことだったが、韓国ならばだいたい「孝弟忠信」のように並ぶ徳目が、日本では「忠孝弟信」という具合に、忠を筆頭に並べられている本をある人から見せられ、日本ではこの序列が普通だと聞かされて驚いたことがある。  韓国で最高の徳目はもちろん孝である。日本では一般に、孝と言えば親孝行のことで両親への敬愛の範囲を出るものではない。しかし、儒教本来の孝は、両親と祖先に対する孝であると同時に、結婚して子供、とくに家系を継ぐべき男の子を生むことまでを含んでいる。したがって孝とは、人間の生命の源という、自然な人間の根元から流れ出た、儒教思想の核心を形づくる倫理にほかならない。日本ではどうやら忠をその上におくのである。  日本人が忠を孝に優先させるのは、武家社会の倫理観が大きく作用してのことだろうが、その根本には、日本の伝統的な家族制度が、韓国とはちがって、非血族を含むイエとしてあり、血統ではなくイエの存続を目的とするものだったことがあるように思う。そこに、ややもすれば、家族(孝)よりも会社(忠)を優先することが多いとも言われる、現代日本人ビジネスマンのルーツもあるのではないだろうか。  中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先することは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。そのために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は根本的には解決されなかったように思う。  たとえば、前にも書いたことがあるが(『続 スカートの風』三交社刊、のちに角川文庫化)、戦前、韓国の抗日戦線の一部隊が、日本軍の背後に迫りあと一歩でその軍団を全滅させられるという状態にたちいたりながら、父親が亡くなったために即座に部隊を引き上げて三年の喪に服した隊長がいる。この隊長はもちろん、韓国では孝をつくした立派な人と尊敬されるのである。 忠優先で成功した日本  滅私奉公で家族を犠牲にする忠、という面からみれば、孝の優先には家族本位という意義があると言えるかもしれない。しかし、韓国の孝を優先する倫理観は現代では、家族を離れた会社や組合などの社会的な利益集団への帰属意識をきわめて弱いものとしている。たとえば、労働者の平均勤続年数は、一九九一年では日本の一〇・九年、アメリカの七・二年に対して、韓国は三・〇年と極端に短い(『AERA』一九九二年四月二八日号)。そのため、韓国では社内での人材養成を日本のように徹底してやれない状態となっている。社員にお金をかけてその能力を開発しても、すぐに他社へ移ってしまうからである。  忠がしばしば滅私奉公的な自己犠牲を強いると言うことはできるだろう。しかし、孝にしても、しばしば両親や血族集団のために個人が犠牲を強いられることがあるのは言うまでもない。いずれもその極地の方向に個人的な自由の喪失があることに変わりはない。ただ、日本人がかつて忠が孝に優先する封建社会を築いたことと、「会社に一生を捧《ささ》げる」とか「社員とその家族を一生めんどうみる」とかいった労使の姿勢を生み出し、終身雇用という独特の制度をつくりあげたこととは、決して無関係ではないだろう。  ただし、日本人も韓国人も現世順応主義では一致している。現世はキリスト教的な考え方のように克服されるべき「罪深いところ」ではなく、人々に幸せを約束する「よきところ」である。人間の本性も善なるものであり、人間はこの現世において、あらゆることに対して、それぞれが完成にむかってすすむ能力を生来もつものだと考える。これも儒教的な考えと言ってよいと思う。しかし、そうした考え方が現代のものでもあり得るとすれば、それは明らかに、実際的な人と人との豊かな関係を追求し、それを道として歩むことを人間の本性とする、人間本位の現世順応主義として、であるだろう。 「恨」と「もののあわれ」 情緒表現と美意識の二つの典型 「恨《ハン》」は韓民族に特有な情緒表現の一つの典型と言ってよいと思う。一方、日本民族にとってはどんな情緒表現が典型と言うにふさわしいだろうか。これだ、と言えるかどうかはわからないが、やはり気になるのが「もののあわれ」である。これは『源氏物語』などの文学作品を生んだ平安時代の貴族生活に発生基盤をもつと言われるが、現代日本人の心にまで深く連絡する、伝統的な情緒表現の典型的なものと思える。  とは言うものの、私は「もののあわれ」についてとくに深い理解をもっているわけではない。ことさらに文学的な用例を調べたこともなければ、有名な本《もと》居《おり》宣《のり》長《なが》の「もののあわれ」についての論考を読んだことすらない。せいぜい、「いのちに限りある万物の移りゆくはかなさに触れて感動する心」といった程度の理解にすぎない。したがって、以下は不勉強を棚に上げてのもの言いであることをお許しいただきたい。  親しくしている日本人と人生観を話し合ったりしていると、いつも「人が生きることへの感じ方」に日本人特有の共通性を感じさせられたのだが、それを「もののあわれ」と言ってみると、いかにもピッタリするように思えてしまう。「もののあわれ」をよく説明する代表的な古詩のひとつに、次のものがあると、ある人から教えられた。      春はただ花のひとへに咲くばかり もののあはれは秋ぞまされる(『拾遺集』)    (春はもっぱら花がひたすらに咲くのみである。「もののあわれ」という情緒を感じるには秋こそが最高の季節である)    花も散り木々の葉も枯れ落ちてゆく秋、秋は自然ないのちの衰えゆく寂しさ、悲しさに心が同調して人を感傷的にさせ、もの事への思いをより深くする季節だ。そこに揺れ動く心を一種の美的な情趣として表現することはもちろん韓国人にもある。ただ、韓国人ではそうした情緒そのものが美意識となることは少ないように思える。たとえば、次の詩は時《シ》調《ジヨ》という三行詩の形式で書かれた、李朝期の詩人 黄《フアン》真《ジン》伊《ユン》の作品である。      いつの日にわたしの信義が失せ、あなたを欺いたというのだろうか    月も見えない深夜、あなたがやって来る気配さえない    秋風に そよぐ葉音 わたしは自分の心をどうすることもできない    ここでは、荒涼としたもの寂しさに同調する心そのものではなく、そうした心持ちの耐えがたさが歌われている。もちろん、日本にもそうした心情を歌った詩はあるだろうし、また韓国でも「もののあわれ」的な情緒を歌うことはある。しかし、どちらかと言えば、日本では不幸な事態をもそのまま受け入れるように歌い、韓国ではこの詩のように、「うらみがましい」という心情を吐露するような傾向が強いと思える。  恨は単なるうらみの情ではなく、達成したいこと、達成すべきことができない自分の内部に生まれる、ある種の「くやしさ」に発している。それが具体的な対象をもたないときには自分に対する嘆きとして表され、具体的な対象をもつとそれがうらみとして表されるのだと言ってよいように思う。そして、さらに重要なことは、そうした恨をほぐしてゆくことが美徳とされ、美意識ともなる、ということである。 自然観と人生観  日本人の多くは、失恋をしても「そうなったことは自然の流れだから仕方がない」というように考えようとする。また、職場で昇進しても「そうなったことは自分の力ではなく他者との関係の中での自然な流れなのだ」と主張しようとする人が多い。しかし、韓国人にとっては、それらは自らほぐすべき恨《ハン》であり、また自ら恨をほぐした結果なのである。そうした韓国人の人生観と比べると、日本人の人生観は、一見、人間的な自立としてはあまりに無責任で軟弱、幼稚なものとみえる。来日当初の私はそのように思っていたが、それが実は「もののあわれ」に通じていると思うようになってから、根本的に考え直すようになった。 「もののあわれ」の情緒は、理念的には、万物が「誕生—衰え—死」というように、生成流転する大きな流れのなかにあり、それに誰も抵抗することはできない、従うしかない、調和するしかない、それがいいことだ、という考え方に対応している。それはしばしば指摘されてもいるように、きわめてプリミティブな自然信仰の意識が、仏教的な無常観に深く裏打ちされることによって確立された思想のように思える。  一方の恨の情緒は、万物の生命的な流れをいかにまっとうしているか、というように人を倫理的に価値づける理念に対応している。それは自然界の決定を受けて人間界の規範・道徳があるという、儒教的な徳治思想に裏打ちされていると言えるだろう。 「もののあわれ」のように、自然のあり方との調和へと心が向かうところでは、自然や人生に対する意識は、倫理よりもまず境地となりやすいことはよくわかる。そこでは、自然な流れと調和する心のあり方、その地点へと向かおうとする心境、姿勢、態度、身の処し方などが、人間にとってより重要なものとなる。その一方に、現世的な人間の規範としての道徳的、倫理的な生活がある、というのが多くの日本人のものなのではないだろうか。失恋や昇進を倫理的に価値づけずに、それらをどれだけ自然として受け入れられる境地を自分のものとしているか、それが価値となるのである。  恨にしても「もののあわれ」にしても、いずれも自然に対する人間の欠如感覚を原点とすることでは変わりはない。欠如を感じる自分の心の浄化、その処理の仕方が異なるのだ。恨ではそれは否定的にとらえられ、いかに溶解するかが人生の方向性となる。「もののあわれ」ではそれは逆に肯定され、いかに肯定のままに生きられる自分を得るかが指向される。前者の問題は、その溶解が執着をとることへと向かわず、他者に勝ることでほぐそうとするあまり、より執着を強めてゆく傾向をはらむことである。同様に後者の問題は、ややもすると前向きの姿勢に否定的となり、権力の作用に身をゆだねてしまいがちなところにあるのではないだろうか。 儒教と神道を支える心情  仏教的な無常観そのものでは現世に対して否定的になりやすいが、「もののあわれ」は恨とともに、東洋的な現世順応主義をよくあらわす心情だと思える。ただ、恨は自然本位の考え方を導き、「もののあわれ」は人間本位の考え方を導く。逆に言う人もいるが、私はそうではないと考えている。  恨の立場から言うと、人が貧乏であったり社会的な地位が低かったりすることは、そのままその人の力の弱さを示すものとなる。なぜなら、それは恨が固まったままの状態であって、それをほぐす力の弱さを物語るものだからである。儒教ではその弱さがさらに、倫理的な価値の低さへと位置づけられてゆく。儒教的な考えでは、どんな人間にもすべての可能性が天然自然なものとしてそなわっているのだから、それを発揮していない者ほど倫理的な価値が低い、ということになる。そこからは、人間よりも自然を優位とする自然本位の考え方が出てくるのではないだろうか。  これが「もののあわれ」の立場では、貧乏とか地位とかは、その人の責任も多少はあるにしても、多くは本人の力ではどうにもならない社会的な条件によっている、となるように思う。だから、貧乏であったり社会的な地位が低かったりすることは、一種の運命として受け入れるしかない自然の成り行きであって、そのことによって人の倫理的な価値を決めることはできない。それよりも、具体的な人間関係のなかで、他者とどのように調和的な生き方をしているのかが倫理の問題となる。そこでは、自ずと人間本位の考え方となってゆく。それはまた、すべての事象にそのまま神(価値)が宿るという、古くからの自然信仰を保存する神道的な考え方を支えるものでもあるようだ。  恨では人の心は強い存在との同化へと向かうが、「もののあわれ」では人の心は弱い存在との同化へと向かう。いずれも自然との一致を目指す、中国を含めた東アジア人に特有な心情だが、恨では自然は強いものとして、「もののあわれ」では自然は弱いものとして理想化されている。この両者のちがいは、父性絶対主義ともいえる韓国社会の伝統と、父系制をとりながらもことのほか母性を尊重する日本社会の伝統とに、深くかかわるものであるとも思われる。 日本人の「おかげ」信仰 「反省すべき日本人」というアジア人のワンパターン  今年(一九九二年)の春ごろ、中国や東アジアの人たちと語る機会が何回か続いた。私的なサークルの集まりに、自治体や文化団体のシンポジウムに、テレビ番組のディスカッションにと、誘われるままに参加してみたのである。いろいろな国の人たちと話ができるのは楽しい半面、いささかうんざりすることもある。それは、こうした集まりでは決まってあるひとつのパターンが反復されるからである。  多くの場合、「日本人の戦争責任、戦後の反省」が話題のひとつとなるのだが、そうならないときでも、「日本人は戦前アジア諸国に対して行なったことを深く反省しなくてはならない」、あるいは「反省が十分ではない」といった内容の発言が、必ずといってよいほど出る。日本に好意的な人もそうでない人も、話の内容はともかくも、きまり文句のように「日本人は反省しなくては……」が繰り返される。そして、発言を受けた日本人が、「いまお話しされたとおり、われわれ日本人は過去のあやまちを十分に反省しなくてはなりません」と述べる、そして両者がうなずき合う、といったパターンである。  最近私が出席した集まりでは、大なり小なり、このパターンのない会合はひとつもなかった。日本人と他のアジア人が会合する際の一種のセレモニーとなっているようにも思うが、話がこのパターンに入ってくると、「またか」とイライラすることになる。なぜかこの手の話には優先的に時間が費やされるため、実際的な実りを期待しての話をする時間がわずかなものとなることが多いからである。  私自身はそうしたパターンを無視して話をするようにしているが、意見を求められた場合は、だいたい次のように言う。 「日本人は反省ばかりしている、ほんとうに反省が好きな国民だと思います。もっと積極的に他のアジア人に対して言いたいことを言い、批判すべきことを批判すべきではないでしょうか。いつもそのへんで一方通行になっているように思います」  こうも言いたくなるのである。実際、公的な場での発言であればあるほど、日本人は外国人からの批判を受けては反省するばかりで、自分の方から積極的に外国人を批判したり問題点を指摘したりしようとすることはまずない。もちろん、お客さんだから、ということもあるかもしれない。しかし、聞くだけ、受けるだけ、せいぜいが提案というのでは、議論の発展は望むべくもない。  日本人は、極端に表立った摩擦を好まない人たちのようだ。アジア諸国の人たちは日本人のそういった性格をよく知っていて、悪く言えばそこに甘えているようにも感じられた。面と向かって批判されることがないし、もしされたとしても「反省が足りない」の切り札がある——。もちろん、そんな人たちばかりではないが、日本人が一段低い位置に降りることによって、アジア諸国の人たちが誇りを保つことができるようになっているのも事実だ。多くの場合、日本人の「反省」はそのバランスづくりのキーワードになってしまっている。  実におかしな習慣ができてしまったものだが、それは単にアジア諸国の人々のコンプレックスと日本人の逆コンプレックスからつくられたものではない。そこには、社会的な成功についての、韓国人を含めたアジア人一般の価値観と日本人のそれとの、どこか基本的な違いに由来するもののように思われる。そこに、多くのアジア人が気づいていない。 「努力」の強調と「おかげ」の強調  社会的な成功、それはたまたま社会の自然な流れに乗ったまでのことであって、喜ばしいことではあっても、とくに自慢できることでもなければ、ましてや偉いことなどではない——。私の知るほとんどの日本人が、社会的な地位のある人もない人も、大なり小なりそうした考え方を語るのだが、韓国人でこんな語り方をする人はきわめて少ないように思える。  短期間にこれだけの経済成長をとげたのはわが民族の優秀さを物語ると表現する韓国人、ともかく懸命に働いてきたら知らないうちに経済成長をとげてしまっていたと表現する日本人。私はこれだけ努力をして会社を発展させてきたと力説する韓国人企業家、会社がこれまでに発展したのはみなさんのおかげですと表現する日本人企業家。こうした対比はそれほど極端なものではない。通訳の仕事で日韓のビジネスマンの間を行ったり来たりした体験からは、むしろどこでも見られる典型的なパターンといってよかった。  これは、自己主張の強い韓国人と謙虚でひかえめな日本人の表現の仕方のちがいともみえるが、さらには、倫理的な重点の置きどころを異にした人生観のちがいでもあるように思える。  韓国人の倫理観に深い影響を与えている朱子学の一般理解では、すべての人々は最高の道を修めた聖人=君子を頂点とする階層的な序列の下にそれぞれ位置している。それは現実的には社会的な階層や身分に対応している。そのなかである人は出世をとげ、ある人は不遇をかこつ。この場合、朱子学的な倫理観では、出世をとげた者はよく努力をしてより高い道を修めた者である。韓国人一般の倫理観は、おおむね、こうした朱子学的な理解につながっているといってよいだろう。  日本人一般の倫理観では、出世したのはその人の努力には違いないにしても、より高い道を修めたことにはならない。より多くは、男女、友だち、親子、兄弟、長幼、上司、部下、同僚などの間の、具体的な人間関係の織りなす自然作用によるもの、と考えるのが普通だ。ようするに、自分以外の力の「おかげ」とか「はからい」を重視するのである。 「おかげさまで……」という独特の日本語の用法は、単に「あなたの力を得た」ことへの感謝の表明にとどまらず、さらに広く「おかげ」(自然作用)一般への感謝の心を感じさせている。 負けたくない相手へのご都合主義  日本人の「おかげ信仰」から言えば、日本の現在の成功について多くの日本人は、本来的には次のような感じ方をしていたいのではないだろうか。  ——日本が成功した原因の基本には、第一に中国大陸から適度に離れた島としてあることをはじめとする、自然な立地条件のよさがある。第二には、その立地を生かして工業化を推進するのに世界情勢が好都合に作用したことである。東南アジア諸国と日本では、自然な立地においても国際情勢との関係においても、その条件には格段の違いがある。それは、中国、韓国、台湾などについても同じように言えることである。アジア諸国のなかで、日本だけがいち早く近代化をとげたことについては、この二つの条件の有利さを無視して語ることはできない。日本は天の恵みである自然条件によって大きな得をしてきた。もちろん日本人自身の努力は大きいが、日本の今日の繁栄は、何よりも自然な好条件に恵まれ、それを生かすことのできた国際情勢があってこその繁栄である。したがって現在の日本の使命は、自然条件の有利さによって得た富や技術の力を、自然条件の不利のために不遇をかこってきたアジア、アフリカの人々の、真の繁栄のためにおしみなく使うことである——。  日本的な倫理観から言えば、日本人にとっては、諸外国からの「日本の努力」に対する評価に対して、自らはこの「自然作用」を強調する、という対応の形が最も座り心地のよいものであるに違いない。ところが、アジア諸国、とくに韓国などは「日本の努力」を評価するよりは、日本の繁栄を「自然作用」の面から強調し、「だから日本は傲《おご》ってはならない」という姿勢で出てくる。  このように、きわめて矛盾したご都合主義が出てくるのは、自らの「努力」を誇示することを習い性とする人たちにとっては、まさか日本人に「おかげ信仰」という倫理観があろうとは思ってもみないからである。だから、負けたくない相手にはとくに、常に釘《くぎ》をさしておかなければならない、「自然作用」を自覚させておかなくてはならない、と考える。戦前の日本に対する執《しつ》拗《よう》な「反省」の要求も、こうしたことと無関係ではないだろう。  私の知る日本人ビジネスマンの多くは、こうしたアジア諸国の人々の対応にはかなりうんざりしていて、しばしば「日本の努力」を自ら強調してしまうという。「だって、言いたくもなりますよ……」という気持ちはよくわかる。自ら重々承知している「おかげ」をこともあろうに相手から突きつけられるのだから、こちらからはどうしても「努力」を主張したくなるのが人情というもの。この人に限らず、「言いたくなる相手」にはとくに韓国人が多いという日本人にたびたび出会わなくてはならないことは、韓国の現在にとっては不幸なことだといわざるを得ない。 外国人のための日本人とのつき合い方 何を食べましょうか  日本人を食事に誘って「何を食べましょうか」と聞くと、ほとんどの場合、「何でもいいです」という答が返ってくる。何でもいい? そんなわけはないだろうということで、「和食にしますか、洋食にしますか、それとも中華がいいですか」としつこく聞いてみると、またまた、「いや、私は何でもいいですよ、おまかせしますから」となりますね、だいたいが。あなたの好きなものを一緒に食べましょうと誘っているのに、「おまかせします」とはどういうことなのか——日本人とのつき合いはじめでは、これでわけがわからなくなる人が多い。  少し慣れてくると、「ああ、これは、無意識に自分が受け身の側に立とうとする日本人特有の態度のあらわれなのだな」と、わかってくる。それにしても、どうして日本人はこうまで選択権を自分で持とうとしないのだろう——そう思っている人は多いはずだ。  こんな場合、相手が「何でもいいです」と言う以上、こちらが勝手に決めるしかないと、適当にやっている人が多いと思う。まあ、好き嫌いの少ない日本人のこと、とくに問題となることは少ない。でも、もしかすると、相手があまり食べたくないものを食べさせているのかもしれないと思うと、こちらとしても気分がよくない。そこで、せめて相手の嫌いなものを食べることになるのを避ける方法はないものか。  たとえば、こんな聞き方もある。 「何を食べましょうか」 「何でもいいです」 「そうですね、今日は、あまり脂っぽいものより、なんかさっぱりしたものが食べたい気分ですね。それに私は、とくに辛いものが弱いんです。あとは、だいたいのものは食べますから、何か決めていただけますか?」  なぜ多くの日本人が「何でもいいです」と答えるのかというと、「○○を食べたいと言って、もしそれが相手の食べたくないものだったら悪いな」という思い方が、どうしても意識の中で先行するからなのだ。ようするに、こちらが何を食べたくないかを知りたいのである。だから、こちらが食べたくないものを言っておいて、あとはまかせるとすれば、気分すっきり、積極的にリードしてくれるのが日本人だ。  ともかくも、日本人は物事をはっきり言わず、曖《あい》昧《まい》な表現をすることが多い。この日本人の曖昧性にぶつかって「理解」を放棄してしまうと、「日本人には自己主張というものがない」とか、「どっちつかずの風《かざ》見《み》鶏《どり》」「タテマエばかりでホンネを言わない嘘《うそ》つき人間」「表裏のある二重人格者」などと考えることにもなってしまう。  私は、多くの外国人にとって、どうにもこのように見えてしまう日本人の真意を「理解」し、しかも上手に楽しく日本人とつき合っていくための重要なキーワードのひとつに「間接的」を置いている。ことばや態度の面で、直接的な表現を嫌いまたは避け、間接的な表現を好みまたは積極的に選択しようとするところに、日本人の大きな特徴がある。そこには、それなりの歴史的・文化的な背景があるのだろうが、つき合い方ということでは、そこまで立ち入る必要はない。 「何でもいいです」という言い方も、自己主張がないからでも、単に物事を曖昧にしようとしているからでもない。個人的な欲望を直接ぶつけることによって、相手に自分に対する違和や対立の感じが生じないように、したがって相違よりも一致を捜し出してそこから関係をつくっていこうとする、そのための間接表現の一種だと理解することがよいと思う。「間接的」というキーワードで日本人とのつき合い方を考えてみること、それはまた、日本文化について考えてみることにもつながってゆくはずである。 考えさせて下さい  商談が終わり、韓国人ビジネスマンが日本人ビジネスマンに「この条件でどうでしょうか」と言い、日本人ビジネスマンは「そうですねえ、ちょっと考えさせて下さい」と答えた。韓国人ビジネスマンは相手のソフトな対応にホッとして、日本式に「よろしくお願いします」と言い、日本人ビジネスマンはそれにうなずき、二人は握手し別れた。韓国人ビジネスマンは、いつ契約の申し込みがあるかと期待して待った。が、一カ月たっても何の連絡もない。「おかしいな。何かあったのだろうか」と心配になり、国際電話を入れた。電話に出た日本人ビジネスマンは彼が「まさか」と思うようなことを言い出した。「いろいろ考えたが、採算が合わないので、今回は契約を見送りたい」と。  そんなばかな、採算が合わない? 数字のことは最初からきちんと説明してあるではないか、ということは、話をした時点ですでに契約する気なんかなかったんだ——。事態を悟った韓国人ビジネスマンは、腹がたつと同時にガックリきたが、どうにも納得できない。 「契約が成立しなかったということ自体は仕方がない。しかし、なぜ商談の場ではっきりNOと言わずに気を持たせるような言い方をするのか。こちらを下に見てバカにしたとしか思えない」と一人でつぶやいていた。  最近は、このような日本人特有の話し方に外国人もかなり慣れてはきた。しかし、韓国人に限らずいわゆる「日本的な表現」にとまどう外国人は多い。 「考えさせて下さい」は「ほとんど可能性はない」という意味だと覚えておくしかない。「これだから日本人は国際社会で通用しないんだ」と怒ったり、あざ笑ったりするのは簡単だ。が、私たち在日外国人は別の視点で考えてみる必要がある。なぜなら、私たちは日本で生活しているのだから。  日本人はなぜ「NO」と言えないのか?  日本人の心理は次のようなものだと私は思う。  ㈰日本人はAかBかという二者択一を嫌う。何事にも余地をもつという哲学があるのだ。どんな物事でも全面的なNOはありえないと無意識に感じてしまう。  ㈪人との親和を求める気持ちが強いため、ビジネスでの拒否が人間の拒否にもなるような気分をもち、とても苦しくなってしまう。  ㈫NOと言わなくてはならない時はできるだけ相手を傷つけないようにと考える。  ㈬そこで「NOではあるが、いい加減なNOではありませんよ」という心をなんとか表現しようとして「考えさせて下さい」と、「余地がある」という無意識の心をついつい表現してしまうのだ。  曖昧な表現は、その背後の心理を読み取ってほしいという信号である。在日外国人ならばそんな日本人の気持ちをあせることなくとらえてゆく余裕をもつことができると思う。日本で生活している強みを利用して、「在外」外国人の日本理解に大きく差をつけよう。 家に遊びに来て下さい  日本人の多くは外国人からみるといとも簡単に「家に遊びに来て下さい」と言う人たちのようである。私はかつてある教師から、親しげに「ぜひ、私の家に遊びに来て下さい」と言われて、さて、いつ行こうかと本気で考えていた。が、何日か後でその教師と偶然に会ったときに挨《あい》拶《さつ》をすると「ええと、あなたはどなたでしたっけ?」と言われてがっかりしたことがある。私はそのときから、自宅に招かれてもそれが本気なのかどうかの区別がつかなくて混乱するようになってしまった。似たような経験があなたにもあるのではないだろうか。  今では私は、日本人の「家に遊びに来て下さい」という言葉には、大きく次の三つの意味があると思うことにしている。  ㈰儀礼上の言葉  ㈪親しみの表現  ㈫本当に来て欲しい  しかし、この三つはどう区別できるのだろうか。問題は相手の誘いを受けてもいいものかどうかである。  初めての出会いにもかかわらず、相手が何か特別な理由で……たとえば相手があなたの故郷や仕事などに格別の興味をもって話を聞きたがっているようなときには、本当に来て欲しいと思って誘っている。この場合は「それではお言葉に甘えておじゃましてもよろしいでしょうか」と誘いを受けても決して失礼ではない。  また、引っ越しの挨拶状に「どうぞお近くにお越しの折にはお寄り下さい」といった文面をよく見かける。これはどうやら儀礼的な挨拶文だと思っていたほうがよいようだ。この場合、相手に確かに新居を祝って欲しいという心があるにせよ、特別親しくなければやはり訪問は遠慮すべきだろう。  では、日本人はなぜほんとうに招きたい場合でなくとも、自宅への訪問を誘う言葉をしばしば使うのだろうか。それは親しみの表現だと私は思う。ひとことで言えば、「私は門を開いていつでもあなたを受け入れる用意がありますよ」という心情的な表現に違いない。それは好感のしるしであるし、また親しくつき合っていきたいという意味の言葉でもある。  日本人どうしならばまず「お誘い」の言葉をそのように受け止め、実際に訪問するかどうかは、親しさの度合いを見はからいながら、決めているように思う。したがって、いまだそれほど親しいつき合いのない間では、しばらくつき合ってみて、親しく会話ができ、お互いにそれが楽しいという状況が生まれてから、「いつかお誘いを受けましたが、お宅へうかがってもよろしいでしょうか」と尋ねてみるのが自然だろう。 「ひけらかし」が嫌いな日本人  日本人は自分の力を「ひけらかす」ことを嫌う。「ひけらかす」とは見せびらかしたり誇示したりすること、あるいはとくに自慢することを言う。度の過ぎた誇示や自慢は、どこの国の人にとっても嫌なものには違いない。ただ日本人では、他の外国人ではそれほど度を過ぎているとも思えない場合でも、嫌味に受けとられることは多い。その程度にはかなりな違いがある。  先日、私が友人の韓国人を知り合いの日本人に紹介したときのこと。話がアジア諸国の国際化に触れ、私の友人が次のような発言をした。 「日本人は集団の力に頼り過ぎて、なかなか自分個人の力を発揮しようとしないことが問題だと思います。私は、アメリカのある企業へのプレゼンテーションで、企画、製作から、進行、解説までのすべてを一人でやってみせました。そういう個人の力を欧米人に示してみせることも、日本人にとっては必要なことではないでしょうか」  この話を聞かされた日本人は、後で私に「なんでああも自分の自慢をしたがるんでしょうね」と、あからさまに嫌な顔をしてみせた。ともかくも嫌味が先にたって、それ自体ではもっともな話ではあったものの、まるで受け入れてはいなかったのである。  この韓国人ほどではなくとも、中国人にしろアメリカ人にしろ、フランクに自分の知識、仕事、家族などについて誇らしげな話をすることは多い。一方、自分からそのような話を積極的にする日本人は、きわめて少ない。いや、それ以上に、自分を卑しめるような言い方をわざわざする人が多い。このアンバランスでそのまま対面すると、日本人も外国人もお互いにうんざりとした気分になってしまうのだ。  この面で日本人を理解するポイントは「個人の力は他者の協力や社会的に有利な条件があってこそ発揮される」ということに、ことのほか強固な重点が置かれていることである。そのため、自分の力をストレートに自分から示すことは、他者に対する非礼であり、また社会の恩恵を忘れた卑しい者の態度、とみなされることにもなる。  自分の力は他者によってこそ語られるものであり、自ら語るべきものではない——これが日本人一般の考えである。そこから、日本人特有の控えめな態度や行動も出てくる。よい面では、力がなくとも引けめを感じないですむ関係がそこにあるのだが、悪い面では、上に出ようとする頭を抑えられることにもなりがちだ。  ともあれ、自分の力についてどうしても話す必要があるときには、他者の協力と社会の恩恵あってこその自分だという姿勢を適度に示すこと、それが日本人とのつき合いではとても大切なことのように思う。 教える姿勢の弱い日本人  欧米人には理解しにくいことかも知れないが、教える・学ぶの関係は、東洋では、とくに東アジアでは上位と下位の関係意識に強く対応している。中国以上に文人(インテリ)優位主義の強い韓国では、かつて上位の者は下位の者に対して、教えさとすように話すことを品位ある態度とした。そのため、韓国人は無意識のうちに人の上位に立とうとして、教えようとする姿勢を強く出すことになる。  ところが日本の文化は、できるだけ相手より低い姿勢を示すことを礼儀として重んじるから、韓国人とはまったく逆に、学ぼうとする姿勢をより強く押し出すことになる。日本人の多くが教えようとする姿勢に弱いのはそのためであり、教えたくないとか教えるのがいやだとかいうことなのではない。その証拠に、時、場所、場合に応じての必要最小限のことは、懇切丁寧に教えてくれるし指摘してもくれる。ただ、積極的に質問をしていかないと、あちらからはそれ以上に立ち入って示してはこないのが普通だ。  私の場合で言えば、日本の文化について知りたいことが多くて、日本人には習慣や考え方についての質問をよくする。が、容易に肝《かん》腎《じん》なところまで話がいきつかず、中途半端に終わってしまうことがしばしばある。あるとき、そんな不満を何人かの日本人にぶつけてみた。すると、一様にかえってきた答は次のようなものだった。 「相手が知っているだろうと思われることまでを教える立場で話すことは、とても失礼なことになる」  なるほど、どうやらそうした意識が、積極的な知識の披露を規制しているようである。 「なぜ?」を繰り返して聞いていくと相手もこちらも疲れてくる。ということで、結局私は、相手が話に乗ってくるような話題をこちらから提供するようになっていった。たとえば、「韓国ではこんな場合にはこうする」などと話を切り出すと、「それは面白い、日本の場合はね……」といった具合。そうなれば、どんどん深いところまで話が進んでゆく。慣れないと難しいかもしれないが、相手に「教えている」という意識をもたなくてもよいようにしてあげて話をさせること。それが、日本人から深く細かい知識を引き出すためのコツだと言えるだろう。 日本人は無宗教?  日本人はしばしば「無宗教の民族」と言われる。しかし、全国各地どこへ行っても仏教のお寺がある。神社は田舎の片隅から都会の中心まで、いや、一般家庭の神だなからビルの屋上の小さなお宮まで、無数に見ることができる。が、多くの日本人が、自分は無宗教だと主張し、またそう感じていることも、確かなことに違いない。それでいて、葬儀は仏教式で、結婚式はキリスト教式か神道式でやることがほとんどなのだから、どうも、そのへんがよくわからない、ということになる。  そこには、いろいろと難しい論議もあるが、人間が宗教上の信仰を持つことを当たり前のことだと感じている多くの外国人にとっては、そのへんをどう理解しつき合ったらよいかは、切実な問題ともなる。私もクリスチャンだから、カソリック、プロテスタント併せて、実に人口の一パーセントにも満たない(約百万人)という、世界でも希《まれ》にみるこの国の人々の宗教心については、かなり当惑させられてきた。  自ら無宗教と主張する日本人、あるいは特定の宗教を信仰しているという日本人でも、そのほとんどが、恐ろしく古い時代の自然信仰(アニミズム)、つまり多神教的な宗教意識を持ち抱えていると考えて間違いない。日本人ならば誰でもが、自覚的な信仰や思想とは別に、生活習慣のように無意識のうちに身についている、この多神教的な信仰心を心の底に抱えこんでいる。欧米と肩を並べる先進国でありながら、気の遠くなるほど昔からの自然信仰を意識に強く保存させている人々。私は、そこに日本人という民族の最大の特徴があると思う。  なぜそのようなことが可能なのかと言うと、そこに神道が関係しているからだと思う。自然信仰やシャーマニズムの要素は、アジアの国ならばどこにでも残ってはいる。しかしそれは、近代社会の意識からは切り離された、「遅れた宗教性」としての残存である。ところが日本では、両者の間に神道というクッションが入って通路がついている。神道は、自然信仰やシャーマニズムに特有な、ドロドロとした要素をそぎ落し、ソフトで小綺麗な変容をとげさせる。この神道の媒介によって、多神教的な意識が近代社会の意識へと浸透する。現代日本人の意識はそうした仕組みをもっているように思う。 日本人は差別的な国民か?  日本人は外国人、とくにアジア人に対して強い差別意識をもっているという説がある。日本に来た当初は私もそんな感じがしていたが、いまでは、とりたてて言うほどのものではないと思っている。確かに、外国人はアパートを借りにくいなどの状況はある。そして、そこに差別意識がまったくないとは言えない。しかし、ほぼ単一民族国家としての歴史が長く、およそ多民族雑居の経験をもたない日本で、外国人への警戒心や不安感が、また多少の不信感がまったくない方がおかしい。そして日本は、他のどの国よりも治安状態のよい国でもある。外国人の方も、そのあたりへの理解をもって、いらぬ誤解を受けないように、日本的な人間関係のあり方を学んでゆかなくてはならないと思う。  現代日本人が他の国の人々に比べてとくに民族差別の意識が強いというのは、明らかな誤りだと思う。日本人は人間関係を、より個別的・具体的なところから考えようとする特徴がある。そのことは、先に述べた、日本人の宗教性に大きくかかわっているように思える。キリスト教にしろイスラム教にしろ、また仏教や儒教も、一個の完成された理念の体系をもっているが、日本の神道的な宗教では、理念的な体系をもたない。そうした意識のあり方に関連して、多くの日本人は、人間関係についても、理念的・一般論的なあり方よりは、個別的・具体的なあり方に比重がかかっているように思う。  たとえば、なかなかアパートが借りられないとする。その場合、なんとかして日本人を伴い、お茶菓子を手土産に貸し主の自宅を訪問する。そこで礼儀正しく事情を説明して頼めば、私の知る例では、多くの場合が成功している。なぜならば、貸し主はみずから直接に、個別的・具体的な関係として知ったあなたの人間性を、何よりも重視するだろうからである。  なぜそこまでしなくてはならないのか、貸し主はどんな国の人間にも貸す義務があるし、こちらには借りる権利がある、それは差別ではないかと、そう主張することはできるだろう。しかし、現実に貸し主にあるのは差別意識というよりは先に述べたように不安感なのであり、その不安をなくさせる努力を外国人の方ですることも必要ではないだろうか。 慣れ慣れしさと親しさ  日本人とは親しい間柄がなかなかつくれないと感じている外国人は多い。感情を顔に表さない、心をオープンにしない、本音をみせないなど、とっつきが悪くて、どこから入っていけばよいのかわからないという意見もよく聞く。確かに、日本人はかなり人見知りの傾向の強い人たちではある。その点、他のアジア人は一般に、少しでも知り合えば、すぐに親近感をあらわにした態度をとる人が多い。韓国人や中国人はとくにそうかもしれない。  たとえば韓国人。大学生時代、私は昼食時に隣に座った同級生の弁当箱をのぞきこみながら、「それ、おいしそうね」と言って、おかずの一つを箸《はし》でつまんでポイと自分の口に入れ、実にいやな顔をされたことがある。韓国人は相手との距離をなくし、はやく仲よくなろうとしてそうするし、そうしないと、かえって仲間あつかいされないことが多い。が、日本人にとっては、いかに仲間とはいえ、断りもなく勝手に人のおかずを自分の箸でつまむなどとは、あまりにも慣れ慣れしい、きわめて失礼な行為なのである。  やはり学生時代、仕事関係で知り合った日本人の家に遊びにいったときのこと。初めての訪問であるにしても知らない仲ではない、いまさらお客さんでもないだろう。私はそう思い、勝手に冷蔵庫を開けて果物やジュースを持ち出し、「ねえ、コップはどこ?」とやって、これまた眉《まゆ》をひそめられ、不思議な思いをしたことがある。「仲間の家へ行ってお客さんふうに構えるのはかえって失礼なこと、あたかも自分の家のごとくふるまえ」、それが韓国式のつきあい方なのである。しかし日本人ならば、いくら知り合いでも、いきなり他人の家の冷蔵庫を開けるとは、なんて慣れ慣れしいのかと不愉快な気持ちをもつのが普通だ。  韓国人の場合は少々極端かもしれないが、それほどではなくとも、日本人が一方的に距離をつめた慣れ慣れしい接触を嫌うことは確かである。距離は双方から、しかも徐々につめあい、しだいに慣れ親しんでうちとけた関係へと移行してゆく——これが日本人の流儀だ。日本人は情愛を急速に燃焼させるよりは、ゆっくりと燃やすことによって、柔らかで持続する関係を求めている。そこから、負担なく楽な気分でつきあえる関係を生み出そうとする。 東京の無意識と外国人  東京の無意識は、あちこちの「世界」を集めてお米に混ぜ合わせ、じっくりと炊き込んだ「まぜご飯」のような「味」を目指していることは、私には疑いないように思われる。その点で、モザイク的、パッチワーク的なニューヨークやカナダの都市とは、かなり違った世界都市がやがて姿を現すはずなのだ。  子どものころからキムチ、キムチの毎日で、味覚が少々マヒしている韓国人が言うのだからあてにはならないが、東京で食べるフランス料理は、私にはフランスで食べたものよりもおいしく感じられる。これは知り合いのフランス人も言っていたことだが。また、醤《しよう》油《ゆ》をソースとして使ったビーフステーキの風味は格別である。  キムチやビビンバを出す居酒屋があると誘われて行ってみると、これまた不思議な食べやすさがある。特に日本人向きに味を変えているわけではないのに、確かにこれは韓国のものだと主張できない味なのだ。  東京には、赤坂にも新宿にもそんな店がたくさんある。「純粋のよその味」を「どこか違うよその味」にしてしまう得体の知れなさがある。  日本人は、そんなふうに、よそのものを内に取り込んで独特の味にしてしまう達人に違いない。東京はそのヘソである。  私はそんなところから、日本の国際化に、東京の世界都市への成長に期待を寄せているのだが、無意識ではなく東京のいまのところの意識の方には、ちょっと文句を言いたいことも多い。  たとえば、外国人が東京に部屋を借りるのには、ひと苦労、いや二苦労も三苦労もしなくてはならない。不良(?)外人が多い昨今、とかいうことで、しかるべき日本人の保証人を要求されることがほとんどだ。まだまだ東京は、外国人が気安くフラッとやって来て住めるところではない。  日本のヘソの住人、東京人にして、文化はいいが人の方はどうも……といった感じをあちこちで受ける。そう、世界都市東京の問題は人なのである。人種の異なった人たちとの雑居というイメージが、いまだ東京ではプラスのものとはなっていない。別居をよしとしているのが、いまのところの自覚意識の大勢だと感じられる。  でも東京は、江戸の昔から、外部の異質なものを受け入れ、混ぜ合わせることで生き続けて来た都市である。あらゆる外部の「もの」の流入をこばむことなく受け入れて独自の豊かさを築き上げてきた。そして最後に残った外部の「もの」が「人」なのだ。いま東京につきつけられているのは、そういう「人」の問題なのではないだろうか。 文庫版あとがき  私の三冊目の単行本は、はじめての評論集となりました。一九九一年の夏ごろから、雑誌に原稿を書くという、これまでになかった新しい体験がはじまりました。活字になってみると、なんだかスラスラと書いたようにみえてしまいますが、事実は正しい(かつ気のきいた)日本語表現との悪戦苦闘の連続です。これまでには、書けるときに書きためておき、時間のとれるときにじっくりと書き直し、第三者に目を通してもらっていろいろな指摘を受け、さらによりよい原稿へと修正を重ね、三回ほど出るゲラの段階で不十分なところを何回もおぎなって完成させてゆく——こうして二冊の本を出した体験があるだけでした。限られた時間のなかで、まったなしの締切のある雑誌原稿を書くには、とてもそんな悠長なことはやってはいられないのだということを、いやというほど知らされました。  とくに三つの連載を引き受けるなどは、明らかに身のほどを知らない者のすることでした。ただただ毎日が苦しく、途中で何度お断りしようと思ったかわかりません。それでもなんとか続けることができ、しだいに楽しくもなっていったのには、ふたつばかり、大きな支えがあったからだと思います。  ひとつは日本語ワープロです。一九九一年からいじりはじめたワープロが、一九九二年の始めころからほぼ自由に扱えるようになったのです。なにしろ、私の知識ではすぐには浮かんでこない漢字が一発で出てきます。いくら手直しをしても原稿がゴチャゴチャになることなく、これまでの、ギクシャクとした文字で清書に清書を重ねるといった労力がまったくいりません。そのほか、さまざまな面でワープロを覚えた効果には絶大なものがありました。もうひとつは、それまでの二冊の本のときと同じように、三交社の高橋輝雄氏が徹底したアドヴァイザー役を務めて下さったことです。このお力ぞえがなかったなら、私はとっくに音をあげていたにちがいありません。  ともかくも、そのようにして書き綴《つづ》ってきた文章をこうして一冊の本に収録できたことは、私にとっては実に感動的なことなのですが、最初から評論集を編むというつもりで書いたわけではなかったため、全体のまとまりは決してよいとは言えません。その点、どうかご容赦をお願いいたします。  本文のなかでも多少ふれましたが、アメリカの韓国系移民について少々調べる必要があり、一九九二年の七月から十月にかけて、三カ月ほどロスアンゼルスに滞在しておりました。第三国にいるということで、韓国人の日本人に対する民族的なこだわりが、それほど強く表されることはないのですが、歴史的な問題に話がおよぶと、やはり韓国人特有の不信感を表す人が多いようです。それ以外のことですと、個人的には大多数の人が日本人には好印象をもっているように感じられました。  たとえば、渡米して二十年になるというクリーニング店を経営している韓国人一世は、「いろいろな民族系の人とつき合っていますが、日本人は一番信用できますね、約束は必ず守るし、なにごとにも丁寧だし……」と言い、アメリカに来てから日本ファンとなり、日本のことをもっと知りたいと日本語の勉強をしているのだと話してくれました。また、貿易会社を経営しているという韓国系アメリカ人によれば、「日本人のおかげで、実際、アジア系のイメージがずい分よくなりました。いい製品を作ること、あたりがソフトで親切なこと、独自の洗練されたアジア的な文化をもっていること、そうした日本人の活躍には感謝しています」とのこと。  このような、こちら「現地の日韓」では耳にすることの少ない、韓国人の日本人に対する謙虚な誉《ほ》め言葉が、決して珍しいものではありませんでした。  ロス暴動の結果、韓国人が特定地域に集中して生活する形が、いくらか分散の方向を示しているとも言われます。焼き打ちにあって破壊された韓国人商店の跡地に、しばしば「リース」の看板を見たのが印象的でした。これから韓国が受けなくてはならないだろう国際的な試練を、アメリカの移民たちが先取りしたようにも感じられ、ロス暴動体験が本国へのよきフィードバックをもたらさんことを祈りました。    掲載の機会を与えて下さった各誌の編集者の方々、並びに本書への収録を快く承諾して下さった各誌の発行元に感謝いたします。また、お手紙をいただきながら、お返事を差し上げられないままでおります多くの読者の方々に、この場をかりてお詫《わ》びを申し上げます。いただいたお言葉のなかには、大きく元気づけられ、発想を刺激され、また大きく反省をうながされるものがたくさんありました。こうした、無償奉仕とも言うべき見知らぬ方々からいただいたお力ぞえに、心から感謝の言葉を捧《ささ》げたいと思います。  最後に、単行本・文庫の出版をお引き受けいただき、お世話になりました皆様にお礼を申し上げます。 一九九九年十二月吉日 呉  善  花   本書は'93年3月に三交社より刊行されたものを文庫化しました。 新《しん》 スカートの風《かぜ》 日《につ》韓《かん》=合《あ》わせ鏡《かがみ》の世《せ》界《かい》  呉《お》 善《そん》花《ふあ》 ------------------------------------------------------------------------------- 平成13年11月9日 発行 発行者 角川歴彦 発行所  株式会社 角川書店 〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3 shoseki@kadokawa.co.jp Sonfa O 2001 本電子書籍は下記にもとづいて制作しました 角川文庫『新 スカートの風』平成12年1月25日初版発行